声劇『桜桃の首飾り』―太宰治「桜桃」の解説と白百合忌&桜桃忌の不参加に代えて


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管理人「一日の労苦」(金木小学校 太宰治「微笑誠心」碑)

2025/06/22

毎年のことだが、私は6月になると「桜桃忌」があるゆえにメンタルが落ちる。
そして毎年6月は「太宰治強化月間」とし、すでに読了している太宰関連の蔵書を読み返すか、太宰関連のまだ読んでいない本棚の積読本を読み出すのが習わしだ。
ツラツラと過去を思い返してみるに、メンタルが落ちて「太宰治強化月間」を意識的にやり出したのは、40歳頃だったように思う。
時期的に6月というのは1年の折り返し地点でもあり、仕事やプライベートでもなんやかんやとバタバタしている時期でもあって、必ずしも「桜桃忌」だけのせいではないのだが、それでもこの時期、独り夜中に一杯やりながら太宰を思うと、心が沈むのは否めない。
結論から言えば、昨年に引き続き今年も「白百合忌」と「桜桃忌」には参加できなかった。
しかしながら、今年は5月下旬に声劇台本『桜桃の首飾り――太宰治の「桜桃忌」に寄せて』を書き上げ、今月18日に私も出演して声劇を上演した。
声劇上演後、その雑談で台本の原作である「桜桃」(新潮文庫『ヴィヨンの妻』所収)を含めて解説をしたので、本稿ではこの時に作成した解説原稿(雑談とは言えちゃんと原稿を用意して臨むのが私の流儀)を元に、記事にまとめようと思う。

鬱は大人のたしなみ?個人的な近況報告  

私の体調というか、病状に関しては昨年12月に「今年の白百合忌と桜桃忌について―近況報告に代えて」に書いたが、年が明けてもそんなに病状は変わらず、体調とメンタルは良くなったり悪くなったりを繰り返している。
ゆえに昨年同様、今年も2月の「安吾忌」の参加を見送らざるを得なかった。
私としては「そう長くはあるまい」と思っていて、主に開発が完了していないプログラム(自前ECサイトで販売するITサービスと独自開発のPukiWiki関係)をどうするか、この世に心残りを遺したくないゆえに、どうにも手が付かない苛立ちと、精神的な負担が心を重くしていた(厳密には、現在も煩悶している)。
相変わらず大好きな読書がままならないのも、やはり私の生活を暗く心を重くしているが、ふと、リリー・フランキーの言葉を思い出した。

吉田豪『サブカル・スーパースター鬱伝』

「鬱は大人のたしなみですよ。それぐらいの感受性を持ってる人じゃないと俺は友達になりたくない。こんな腐った世の中では少々気が滅入らないと。社会はおかしい、政治は腐ってる、人間の信頼関係は崩壊してる、不安になる。正常でいるほうが難しい」(リリー・フランキー

出典:吉田豪サブカル・スーパースター鬱伝』(徳間書店・2012(平成24)年07月21日 初版)

私の場合は20代前半の一時期に(今思えば)うつ病状態だったことがあるし、実際に大学を卒業した30歳過ぎ頃に職場を直接な原因として本格的かつ重篤なうつ病を発症したから、この本が意図した(?)ように、サブカルと40歳前後という年齢と鬱に、そう強い関連があるとは思わない。
しかしながら、リリー・フランキーの「鬱は大人のたしなみですよ」には完全に同意する。
結局のところ、浅薄で幼稚なヤカラが構成しているこの社会からハミ出してしまう自分がいて、それは社会の圧倒的大多数の誰にも理解はされないことを意味するのだから、そんなことを気にしても、こだわっても仕方がないのである。
ゆえに、リリー・フランキーが(鬱になるような感受性もないヤツ等と)「俺は友達になりたくない」のも分かるし、私にしたところでリアルで友達と呼べる人は1人か2人しかおらん。
そんなことは20年も前から先刻承知である私も、改めて「そりゃそうよねw ヽ( ´ー)ノ フッ」と思うと心が軽くなるし、実際に少し心が軽くなった。読書と蔵書が有り難い所以である。
ともあれ、今の自分が「やれる事をやれる範囲で、誠実に精一杯やるだけ」であるのには変わりがないから、大好きなのにトラウマになってしまったコーディング(プログラムのコードを書く作業=プログラミング)を少しずつ進めてトラウマを克服するべくチャレンジしつつ、気分転換に愛用のステッキを振り回しては散歩をし、全然興味がなかった声劇の台本を書いたりもしていた。
食生活を改めたのもあるのだろうが、5月の定期通院で・・・

正直、嬉しいというよりも「なんだ、それ?」だし、「予定が狂っちまったな」というのが本当で、戸惑う気持ちの方が大きい。
まだまだ娑婆で苦労しやがれ」ってことなんだろうが、それはそれでウンザリしているのも事実であって、ただでさえ6月はメンタルが落ちるのに、今でもメンタルは落ちっぱなしである。
去年と違って今年は体力的にさほど問題がないが、体調が万全ではないのもあり、この気温の中を重い心を引きずりながら電車を乗り換えて「白百合忌」と「桜桃忌」に参加するのは無理がある。
無理が利かない自身の「老い」を自覚しつつ、今年は声劇『桜桃の首飾り』の上演に参加することで了とした。

太宰文学後期・最後の短編「桜桃」を独自解説する  

声劇上演後に雑談で台本の原作である「桜桃」(新潮文庫『ヴィヨンの妻』所収)を含めて解説をしたのは冒頭に述べた通りだが、改めてその時に作成した解説原稿を元に作品解説をしてみたい。
私の独自解説は大きく次の3つになるから、順に説明して行こう。

  1. 冒頭のエピグラムと対をなす部分について
  2. エピグラムの「――詩篇、第百二十一。」について
  3. なぜ「桜桃」なのか

なお、6月19日の「桜桃忌」は、太宰と同郷で友人でもあった作家の今官一によって本作「桜桃」から名付けられた。
詳しくは本サイト「太宰治文学忌」ページを参照のこと。

 

冒頭のエピグラムと対をなす部分について  

桜桃」の冒頭に「われ、山にむかいて、目を挙ぐ。」というエピグラムがある。

太宰治「桜桃」冒頭(新潮文庫『ヴィヨンの妻』1987(昭和62)年03月15日 第66刷)

エピグラムとは文芸技法のひとつで、短い詩や文章を指す。非常に分かりやすく最近の言葉で近いのは「匂わせ」で、そんなようなモノだと思えばいいだろう。
太宰作品では、例えば次の作品でエピグラムが冒頭または末尾に添えられている。

さて、本作のエピグラム「われ、山にむかいて、目を挙ぐ。」だが、作中の母のセリフ「この、お乳とお乳のあいだに、・・・・・・涙の谷、・・・・・・」と対応する。
つまり、太宰と思しき父は山を見て上を向いているのに対し、母は谷を見て下を向いている。
これは子供(特にダウン症である長男)に対する父と母との目線と接し方、考え方の違いを示していて、父は酒を呑まずにはいられなくなり、母が妹の看病に行きたいのを知りながらブッチして酒を呑みに行く、「陰にこもってやりきれねえ」夫婦喧嘩の話として展開される。

 

エピグラムの「――詩篇、第百二十一。」について  

私はクリスチャンでも何でもなく、この説明には私の勘違いが含まれている可能性があるため、その点は先にお断りしておく。
さて、キリスト教の経典として知られる『聖書』は、大きく「旧約聖書」と「新約聖書」の2つから成立している。
義務教育でサラッと教える世界史で、キリスト教がユダヤ教から発展した宗教であるという意味は、ユダヤ教の経典が「旧約聖書」であり、さらに「新約聖書」を加えて『聖書』としている理由に依る。
旧約聖書は、一般に良く知られている「創世記」から始まり、次にモーセ(日本語では「モーゼ」と濁って発音する例が多く、フランス語だとなぜか「モイーズ」と発音する)が紅海を割ることで広く知られる「出エジプト記」と続き、「マラキ書」で完結する。
ちなみに『聖書』は、ザックリ「旧約聖書」が75%、「新約聖書」が25%の割合で構成されており、圧倒的に旧約聖書が占める割合が大きい。
本作のエピグラムにある「詩篇」は、旧約聖書に収められた150篇の神(ヤハウェ)への賛美の詩のことで、ユダヤ教とキリスト教とでは礼拝(ミサ)その他で実際の取り扱いが若干違うようだ。
具体的には、キリスト教の日曜日のミサ(カトリック)または礼拝(プロテスタント)で、神父(カトリック)または牧師(プロテスタント)が冒頭の説教で「詩篇」に触れて話すことが多いし、「聖書交読」では「詩篇」を読むのが普通だ(少なくとも私が足を運んだプロテスタントの教会ではそうだった)。
もっと分かりやすく言うと、いわゆる「ゴスペル」(元々はアフリカ系アメリカ人による「福音」の歌)や、教会で歌われる讃美歌(聖歌)の歌詞の内容の多くはこの「詩篇」だし、欧米の文学や音楽、演劇や近代以降の映画でもこの「詩篇」がそのままか、もしくは「詩篇」をベースにしている例が腐る程ある。
そこで本作エピグラムの「――詩篇、第百二十一。」だが、この旧約聖書「詩篇」第121篇のことで、「われ、山にむかいて、目を挙ぐ」は、その第1節の前半部分を指す。

新改訳聖書刊行会『新改訳 中型聖書 ―引照・注付―』「詩篇」第121篇(いのちのことば社・2008(平成20)年01月01日 8刷)

詩篇」第121篇第1節は、太宰が引用した文語訳聖書では、

われ、山にむかいて、目を()ぐ。
わが助け何処(いずこ)より来たらん。

となり、上記画像の私の蔵書『新改訳 中型聖書 ―引照・注付―』では、

私は山に向かって目を上げる。
私の助けは、どこから来るのだろうか。

となっている。
詩篇」第121篇全体をクリスチャンではない私の理解でザックリまとめると、

助けの欲しい私は山に向かって目を上げる。助け手はどこから来るのか?
私の助け手は天におわす父なる神が遣わされて来て、昼夜関係なく、全ての災いから私の命を永遠に守る。

となる。
要するに「苦しくて助けが欲しい時は神に祈れ、そうすれば苦しい自分を神が必ず助けてくれる」だから希望を持て!って話ですな。
これは「なぜキリスト教や仏教が世界的な宗教になり得たのか?」に通じるし、もっと言えば商学的に「カリスマ教祖・経典・簡単な祈り」の3点セットによる「魂の浄化」もしくは「心の安静」を「売り」にした「マーケティングの実践と勝利」であることに通じる(笑)。
こんな商学的な話を含め、キリスト教その他の宗教的信仰心がない門外漢でバチ当たりな私に言わせてもらえば、宗教は信者の獲得とその勢力の拡大を背景に政治と結びついて支配階級に食い込み、「神の名の下」に戦争を繰り返している歴史だ。
例えば原始キリスト教のカトリックでは、旧約聖書「創世記」に出てくる「エデンの園」でヘビにそそのかされた人間が「知恵の樹の実」を食べて知恵をつけたため、これまでのように神の恩寵が受けられなくなってしまったことから、知恵や知識なんかいいから、神に祈れ!としていた。
つまり、知恵や知識はカトリック(の上層部)が独占して支配した、という歴史があるし、そこまで知らなくても中世ヨーロッパで大学が成立した時代に何を教えていたのかを知れば、それで足りる話だ。
日本にしたところで、聖徳太子遣隋使を派遣して支那から仏教を輸入し、政治利用して天皇を中心とした中央集権的な律令国家にしたのは義務教育の日本史が教える通りであって、当時の日本の支配階級や知識階級がみな支那語が出来たのは言うまでもない。
ではなぜ、太宰は「――詩篇、第百二十一。」をエピグラムに添えたのか?は、ここまでの説明で自明の通り「自分は苦しくてタマラナイ」と言いたいからだ。
実は戦前から戦後まで、太宰ほど聖書を熱心に読み、その文学に昇華させた作家はいない。
恐らく現在でも、クリスチャンではない作家で太宰ほど自身の文学に聖書の内容を昇華させた作家はいないだろう。
太宰は生涯キリスト教の信仰は持たなかったし、キリスト教を信仰したからと言って「自分が救われる」などと、甘っちょろいことを考える人間でも作家でもなかった。
これに関して私が知る範囲では、クリスチャンの太宰ファンが異口同音に「太宰がキリスト教の信仰を持っていたら、あんな最後(入水自殺)にはならなかっただろう」と言うが、少なくとも私ごときの知識で理解できることなんて太宰ならお見通しであるのは言うまでもない話で、どだいその程度の理解では太宰文学は理解不能だろう(これに関しては別途「太宰治小ネタ集」コンテンツで記事を書く予定ではいる)。
それは文芸的に「詩篇」第121篇第1節の前半部分のみをエピグラムにした方が効果的であるのもそうだが、「私の助けは、どこからも来ない」ことを太宰本人が一番良く分かっていたからに他ならない。
ゆえに、エピグラムから始まる本作がどれほど絶望に満ちていて救いがない作品であるか、理解されるだろうと思う。

 

なぜ「桜桃」なのか  

作品名にもなっている「桜桃」とはサクランボのことで、作品の冒頭にある「子供より親が大事、と思いたい」と、末尾にある「子供よりも親が大事」がそのメタファー(比喩表現)になっている。
作品の初出が1948年(昭和23年)の5月(初出誌『世界』)で、結果として太宰が亡くなったのがその翌月の6月だから、時期的にサクランボの季節ではある。
単純に季節の果物であるという以上に、なぜサクランボが作品を象徴するメタファーになっているかというと、一般に果物は実が種を包んでいて守る役目を果たしているし、鳥や動物が実を食べることによって、種をより遠くへ運ぶ役割をしている。
そこで「桜桃」だが、サクランボは果物の中では特に実の割に種が大きいため、子供である種を包む(守る)実は薄い果肉であって、それが親であるということを暗示している。
それだけ親(実)にとって子(種)が大きい存在であり、特に本作ではダウン症の長男の存在の大きさが父と母の立場と見方、子供への接し方と考え方の差を強調しており、「桜桃」が効果的な役割を果たしているのが分かる。

こうの史代『この世界の片隅に 下巻』(双葉社・2017(平成29)年01月25日 第19刷発行)

画像の通り当時は深刻な食糧不足の中にあって、人々は食うや食わずなのが当たり前の時代だから、ここまでの作品の理解がなくても、季節のサクランボが貴重品かつ贅沢品であったと思われる点からしても、効果的な役割を果たしているのが分かるだろう。
さらに言えば、作品冒頭の「子供より親が大事、と思いたい」は、「思いたい」のであって本当にそう思っているのではなく、作品末尾の「大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き」も、本当に桜桃が不味いワケではない。
親である実を親である自分だけ美味しく食べる、しかも家族を犠牲にしてまで、というのはあまりに父のエゴであるから、わざと「極めてまずそうに食べては種を吐き」と罪悪感を強調する形にし、さらに子である種を吐くという形容で虚勢を強調している。
それが冒頭の「子供より親が大事、と思いたい」が、末尾では「子供よりも親が大事」と心の中の呟きに変化している点からも、作品として父である太宰の心情を余すことなく表現していると言えるだろう。
つくづく、太宰治という作家が短編の名手であることを思い知るが、一般の読者に「救いようのない暗さ」を提供するには十分過ぎる作品でもある。
太宰文学後期の「斜陽」(新潮文庫『斜陽』)と「人間失格」(新潮文庫『人間失格』)が太宰の代表的な作品である点や、太宰文学前期の「道化の華」(新潮文庫『晩年』所収)や「姥捨」(新潮文庫『きりぎりす』所収)が女性との心中をテーマにしていて、特に「HUMAN LOST」(新潮文庫『二十世紀旗手』所収)ではパビナール中毒による入院中に材を取った作品であることからも、「太宰の作品は暗い」「何度も自殺未遂を繰り返した作家」「麻薬中毒者」といったイメージが固定されてしまっている。
これらは事実ではあるが、太宰文学の一面でしかなく・・・まぁ、何でもそうだが、物事を一面のみで判断するのが世人ではあるものの、本稿が太宰文学を多面的に理解する一助になれば、と願うばかりだ。

声劇台本『桜桃の首飾り』蛇足  

桜桃ネックレス

声劇の台本であるから、原作をある程度省略または簡略化し、足りない部分を創作で補って「劇」として成立させる必要がある。
そこで、最後まで悩んだのが原作である「桜桃」の次の末尾部分だ。

 しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。

すでに作品解説で述べたように、父のエゴと罪悪感を強調し、さらに子である種を吐くという形容で虚勢を強調している部分を声劇でどう表現するか。
結論として、声劇台本ではこの部分をザックリ省略して表現した。
理由は、ひとつには声劇としてなるべくセリフを少なくして軽量化する目的と、もうひとつには仮に原作を読んで内容を知っていても(あるいは本声劇その他をキッカケに原作を読んだとしても)、本稿で解説した内容を理解している人(理解する人)はいないだろうという前提に立ったからだ。
そもそも声劇のセリフは効果的かつ少なく短い方が良いし、状況や心理を説明するような要素(セリフやト書き)はなるべく排除した方が良い。
それに、ある意味わざと「なぜ原作のこの部分を台本の作者は省略したのか?」と考えさせる「余白」が、少しぐらいはあった方がいい。

今回の声劇『桜桃の首飾り』の上演では、繰り返しになるが台本の作者である私が出演したし、台本の解説をしたが、通常は台本の作者が解説をするなんてことはないだろう。
それに私は、既に作成済みである他の声劇台本についても、今後執筆するであろう声劇台本についても、一部の例外を除けば今後は解説をしようと思わないし、するつもりもない。
私の原作の理解が正しくても間違っていても、台本を執筆した私が解説してしまえば、その解説内容が台本において「絶対の正解」になってしまい、それを押し付けることにもなる。
それでは声劇を演じる方もリスナーとして聴く方も面白くないし、第一、私が文学声劇の台本を書く意味がない。
声劇台本に限らず、本サイトを含め私が運営しているサイト等において、無論本稿も含まれるが、一旦公開したらそれは作者の手を離れるのであって、後は自由に解釈されるべきだ。
何事によらず、作者というのは読み手(受け手)にまで干渉する手段も権利もないのだから。

おわりに  

営業マンなら特にそうだが、私のようなIT技術者であっても、客先で営業するからには「野球・政治・宗教」の話題がダブーであることは心得ている。
現在では野球に加えてサッカーも含まれるかも知れないが、ともかく政治や宗教といった話題は、客先に限らずよほど親しい友人でなければ、不用意に口に出すことを避けた方が良い話題だ。
だからなのか? 一般に日本人が政治や宗教に無関心なのは。
オウム真理教による地下鉄サリン事件を含む一連の事件は、宗教法人による未曾有のテロ事件にしてテロ災害だが、教祖を含む容疑者全員が逮捕されてしまうと徐々に話題としては収束してしまった。
安倍元総理が白昼堂々暗殺された事件にしても、政治と宗教のダブルコンボだが、当初はダブル役満を食らった衝撃はあったものの、所詮は3年近く経ってしまうと、たまにSNSで安倍信者と反自民・反安倍サイドが話題にする程度でしかないようだ。
社会人なら何かしら働くことによって対価を得る経済活動をしているワケだから、本来政治は生活と密接な関わり合いがあるし、深刻な事件(問題)を起こしたオウム真理教旧統一教会といった新興宗教も、宗教2世の問題を含め、本来なら社会的に看過できない存在と問題のハズだ。
ところが世人はそうではないようだし、概して興味や関心がないらしい。
いわんや文学なんぞ問題にもならないのは自明のことで、「文学は難しい」(興味や関心はない)ということのようだ。
それは今回の声劇台本の解説原稿を書いていて、「どうせ無駄だよなぁ」と思うことしきりで、実際にツイキャスで声劇上演後に解説をしてみたとて、聴いている方はさぞ退屈なことだったろうと思う。

マイ・バイブル

私にしたところで、キリスト教なんかは太宰文学の理解のために、安くもない『新改訳 中型聖書 ―引照・注付―』をはじめ、キリスト教関連書籍を数冊購入して読んでいるに過ぎない。
私はそれこそ聖書の読み方すら知らず、たまたま付き合った女性がプロテスタントのクリスチャンで、その後結婚したのもあって教会に足を運んだが、とうてい聖書やキリスト教を理解する道筋すら分からないままで、それに離婚したからその後は教会に行くどころか、聖書も放置して10数年が経過していた。
確かに一時期は聖書学校の資料を請求してみたり、「神学を体系的に勉強しなければ、太宰文学を理解するのは無理なのではないか?」と思い詰め、上智大学の神学部へ学士編入が出来ないかを検討したことすらある。
今ではそんな必要はミジンも感じていないが、今回の声劇台本の解説原稿を書くため、かなり久しぶりにデニム生地の聖書カバーに入ったマイ・バイブルを引っ張り出してみたところ、過去の苦い思い出が蘇ったのは事実ではある。
声劇の上演も終わり、本稿を書くので再び聖書を開いて、今度はゆっくりと「詩篇」第121篇だけではなく過去のホロ苦い思い出と共に聖書のページと、ページに挟んである当時教会で受け取った冊子(週報)を開くと、また、全然違う箇所の聖書のページをめくってみると、実に不思議なものだ。

ずいぶん久しい間、聖書をわすれていたような気がして、たいへんうろたえて、旅行中も、ただ聖書ばかりを読んでいました。自分の醜態を意識してつらい時には、聖書の他には、どんな書物も読めなくなりますね。そうして聖書の小さい活字の一つ一つだけが、それこそ宝石のようにきらきら光って来るから不思議です。

出典:太宰治「風の便り」(新潮文庫『きりぎりす』所収)
初出:『文學界』1941(昭和16)年11月号

私は太宰が書いたように、初めて「聖書の小さい活字の一つ一つだけが、それこそ宝石のようにきらきら光って来る」不思議を実感した。
鬱を大人の嗜みとし、当時分からなかった聖書も時間を置けば、新たな発見と理解が得られるようだ。
無駄だと思いながらも、こうして本稿を書くことは、やはり無駄ではないのかも知れない。
少なくとも私には、無駄ではなかった。

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