管理人「一日の労苦」/2021/0711太宰治展示室「三鷹の此の小さい家」に行ってみた!

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管理人「一日の労苦」(金木小学校 太宰治「微笑誠心」碑)

2021/07/11

太宰治展示室「三鷹の此の小さい家」に行ってみた!  

昨年の12月08日、JR三鷹駅南口の出口からすぐのCORALに太宰治展示室 三鷹の此の小さい家がオープンし、別に太宰治のファンでもなんでもないと思われる三鷹在住の知人が早速見物に行き、Facebookに写真をアップしていたから、「近い内に行ってみるか」と思っていた。

※詳細は太宰治アーカイブズ(2020(令和02)年)ページを参照のこと

ところが年末年始は何かとバタバタするし、コロナ茶番の緊急事態宣言やら蔓延防止等重点措置やらで、当の展示室も休館していたり、私も特に三鷹方面に用事もないことから、行かないまま桜桃忌を迎えてしまった。
事前に6月1日から展示室の公開が再開されているのを確認していたので、古本カフェ・フォスフォレッセンスさんを後にし、どうせJR三鷹駅に向かうので寄ってみたのである。

画像左手に見えるのが太宰治展示室があるCORAL

JR三鷹駅の南口を出ると空中歩行道路になっており、画像のような風景となっている。
画像左手にCORAL(コラル)のビルとその看板、入り口が見えるが、この5Fに太宰治展示室 三鷹の此の小さい家があるのだ。

1Fエレベーターの所にある太宰治展示室の案内板

JR三鷹駅からCORALに入るとそこは2Fで、エスカレーターを使うのも良いが、私は1Fからエレベーターで5Fに向かった。
画像は1Fエレベーターの所にある太宰治展示室の案内板で、「開室中」となっている。
5Fでエレベーターを下りて左手に進むと受付があり、さらにその奥が太宰治展示室になっているが、案内の職員がいて「しばらくこちらでお並びになってお待ち下さい」とのことだ。
桜桃忌というのもあるが、夕方なのになかなかの盛況ぶりだ。

写真撮影しても良いのはこの外観ぐらいしかない

ただボケッとマヌケ面して待っているぐらいならと、写真を撮ろうとしたら職員が飛んで来て「写真撮影は困る」と言う。
(゚Д゚)ハァ? と思ったが、外観なら上記画像の部分は撮影OKで、その他は太宰治が大写しになっている等身大の写真や、案内板も撮影NGとのことだ。ゆえに、画像右下に写っている案内板になんて書いてあったのか、もう忘れた。
当然ながら、中も撮影NGとのこと。(´З`)チェッ

太宰本人が手書きした表札(レプリカ)

画像は太宰本人が菓子折の箱に墨で手書きした表札のレプリカだが、果たしてこんなに釘で頑丈に打ち付けたモノだか、どうだか(「盗まれないように」といった記述をどっかで読んだ気がしないでもないが・・・加齢とアル中ハイマーなので思い出せない)。
と言うのは、私よりも上の世代の話になるが、昔は受験生がゲン担ぎに「他人の家の表札を盗む」という風習(迷信?)があった。
令和の現代では信じて貰えないような話だが、4軒の表札を盗むと試験に合格する4軒盗る試験通るという、冗談のようだが本当にあった風習だ。
ちょうど私ぐらいまでが団塊の世代のJr世代で人口が多く、今となっては死語となっているが、それはそれは熾烈な「受験戦争」だった。
それとはまた比較にならないのが太宰が生きた時代であり、尋常小学校より上の上級小学校や、旧制中学校に進学出来る児童はよほど学力が優秀か、経済的に豊かな家庭か、その一方もしくは両方クリアしていなければ、進学は許されなかった。
さらにその上の旧制高校や帝国大学(または後に私立大学に認可される旧制医学専門学校や旧制専門学校)に進学するなどは、普通の一般庶民には夢のまた夢の話だ(経済的に豊かな家庭でなくとも広田弘毅のように学力優秀で、東京帝国大学卒業までの学資を援助する無名の篤志家が存在した時代でもあった)。
仮に経済的に進学が許される家庭であっても、旧制中学や旧制高校に進学するとなれば、その試験を突破するのは狭き門だから、受験のゲン担ぎに4軒の家の表札をかっぱらうぐらい、切羽詰まれば普通にやったろう。
無論、受験(試験)が終わったらちゃんと表札を返しただろうことは付記しておく。それがコッソリ戻しておいたのか、ちゃんと理由とお礼を述べて正々堂々と返したのか、それとも受験に失敗してそのままバックレたのかは、私の知るところではない
脱線ついでに記憶がアイマイだが、確か井伏鱒二のエッセイに表札がたびたび盗まれる話があって、そこに太宰の話が出てきたような気がする。戦後、日本国憲法が制定され、学校は全て新制に切り替わって義務教育が実施されたが、新制高校や新制大学に進学するのが大変な時代が長くあったのだ。
太宰が生きた時代や、少なくとも私が少年時代を生きた昭和は「表札は盗まれてもしょうがない」といった大らかな時代で、ゆえに菓子折の箱に手書きして済ませるので十分だったと言える。

「三鷹の此の小さい家」六畳間(体験展示)

画像は玄関を入ってすぐの六畳間(体験展示)で、内部はココなら写真撮影が許されている。
玄関を入って右手が三畳間(常設展示)で、その奥に四畳半(企画展示)があり、縁側を挟んで庭(書画展示)となっている。
展示内容や間取図等の資料は太宰治アーカイブズ(2020(令和02)年)ページに掲載してあるから、詳細は本サイトの太宰治アーカイブズコンテンツを参照して欲しい。
貴重な原稿や手紙、書類等が展示されており、しかも無料で誰でも見学可能であるから、太宰ファンならぜひ一度訪れると良いだろう。

「三鷹の此の小さい家」間取図とスタンプ台

観光施設にはよくある記念スタンプだが、太宰治展示室 三鷹の此の小さい家でも抜からず記念スタンプが用意されている。
図は間取図で、赤枠「スタンプ台」で分かりやすく記念スタンプの位置を表現してみた。

記念スタンプ

縁側の端っこに小さく記念スタンプ台が置いてあるだけだから、人によっては見落としてしまいかねない。
画像のように記念スタンプ用の紙片も用意されており、見学した日付を手書き出来るように工夫されている。

三鷹市にしちゃ、よくやった方だな

上記が一通り見学した、私の感想だ。
そもそも、太宰が住んでいた「三鷹の此の小さい家」(借家)は、とっくの昔に消失していて、結果論だが当時は誰も残そうとしなかったからだ。だから、この展示も全て写真を元に太宰が住んでいた借家を再現した由である。
何故か?と言えば、1948(昭和23)年に太宰が亡くなって以降、太宰文学の評価は国内に留まらず、平成になる前であっても、世界的な評価は得ていた。
しかし、「都民の飲料水」になる玉川上水で派手に入水自殺をしたのが、当時の三鷹市民には許し難かったのではあるまいか?と思う。少なくともそういった市民感情があったハズだ。
私が武蔵野市関前3丁目に暮らしていた1990(平成02)年~1991(平成03)年頃は、三鷹市は太宰治に関して何ら興味も関心も示していないようだったし、住民も素知らぬ顔だったのを覚えている。
こんなことは誰も指摘しないし、今さら指摘したところで無益なのは分かっている。
しかし、太宰治文学サロンが開設された2008(平成20)年03月01日は太宰治没後60年であり、太宰治生誕100年の前年であった。
三鷹市として観光スポットにすべく、いかにも急ごしらえなのがミエミエだった。
それが如実だったのは、銀座のバー「ルパン」のカウンターを模した部分で、私は変だと思って当時バーテンダーを勤めておられる(ひらき)氏に聞いたら、「何の相談もなかったようですね」と言っていた(奇しくも店のオーナーだった高崎雪子氏の令弟に当たり、長年バーテンダーとして店を支えた高崎武氏が亡くなったのも、2008(平成20)年だった。蛇足ながら、高崎武氏が作るウィスキーの水割りとゴールデンフィズ、それにモスコー・ミュールは絶品だった)。

ともあれ、太宰治は年々新しい読者を獲得し、これからも読まれ続けるだろう。
太宰治文学サロンにせよ、昨年新設された太宰治展示室 三鷹の此の小さい家にせよ、国内外の太宰ファンで賑わうのは、昔からのファンである私にしたところで歓迎すべきことだし、手放しで良いと思っている。
が、年々新しく太宰治を卒業する読者に紛れて、こうしてしぶとく愛好し続けているファンだからこそ、書けることもあるのだよ。
(ΦωΦ)フフフ…