現状を打破するには「オーバーワーク」一択である理由


タグ管理人「一日の労苦」, 2026(令和08)年, 偉人, 名経営者, 伝記, 自伝, 豊田佐吉, トーマス・エジソン


 
管理人「一日の労苦」(金木小学校 太宰治「微笑誠心」碑)

2026/01/19

年末年始を読書で暮らしながら、一方で「自分は何をしたかったのか?」漠然と考えていた。
これは大学を卒業してしばらくしてから、ずっと考えていたテーマでもあって、未だに答えは出ていない。
死ぬまで・・・いや、恐らく死の直前であっても、答えは出ないだろうと思った。
では・・・と、考える。うん、考えるだけ無駄だ。
そもそも意味なんかないだろうし、それは自分で頑張って何か意味を見つけようとしても無駄だろう。
結局のところ、私にあるのは「現在の自分に我慢がならない!」という、あらゆる不満なのだ。
結論は「現状を変えたければ、オーバーワークするしかない」ということに思い至った。
なぜそうなのかを、私の経験をもとに書こうと思う。
私は社会的または経済的に成功している人間ではないし、まだまだ勉強不足だが、「自分を変えたい」「現状を変えたい」と思う人の参考になれば、と思う。

男は誰もが「マザコン」説  

私が小3か小4の時に読んだ伝記で感動したのは、豊田佐吉だけだった。
無論、それだけの偉人であって伝記を書いた人が優秀だったのもあるかも知れないが、小学校の図書室で読むだけでなく、手元に置きたいと思って小遣いで買った。
小学生だから難しいことはよく分からなかったが、「毎晩遅くまで手機織りをしている母を楽にさせたい」という佐吉は偉いと思った。
確か、豊田佐吉は生涯贅沢な暮らしをせず、正月の鯛を買いに行った魚屋では、あまりに質素な身なりで鯛を売ってもらえずに買えなかったとか、後に日本を代表する自動車メーカーが生まれることも、伝記には色々と書かれていたと思う。
そんなことはどうでも良くて、母親の仕事を楽にさせてあげたい、だから発明をする、誰がなんと言おうと生涯ブレることがなかったのが、単純にスゴイと思ったし、偉いと思った。

豊田佐吉(出典:ウィキペディア)

私は子供がいないから、子育てや教育について一切知らないし、分からない。
だが、息子としては母親が一番身近な異性であることに変わりがないし、母親も息子に一番心を砕くと思う。なぜなら、娘なら自分の幼少期を思い出して対応が可能かも知れないが、息子ほど意味不明で理解不能な生物はいないだろうからだ。
ゆえに、男はどんな育ち方をしていても、誰もが「マザコン」な部分を多少なりとも持っている。
少なくとも「母親に楽をさせてやりたい」と思う心がどこかに必ずあるから、豊田佐吉の伝記に共感する小学生男児は多いんじゃなかろうかと思うが、これについては残念ながら立証は出来ない。
だが、私の場合は父が病死したから高校を中退して働いて母を助けるしかないと思ったし、後年になって母が寝たきりになった時も、同棲相手と別れて自宅に戻って母の介護をしながら働いた。
いずれの場合も周囲に何かを言う人はいたが、「誰も助けてくれない」という動かしがたい現実しかなかったから、無理だろうがなんだろうが、自分がやるしかなかった。

「努力すれば報われる」のウソと自助努力の現実  

誤解を恐れずに言えば、基本的に「努力すれば報われる」は正しい。
それにはいくつもの前提条件・・・年齢・性別・学力・性格・出自・家庭環境・地域その他、まったく条件を同じにした場合、努力した人と努力しない人で明確に差が出るだろうという意味で「正しい」のであって、公正世界仮説という「仮説」でしかない(ちなみに世界には双子を大規模または長期間調査した面白い研究が数多くある)。

出典:【解説マップ】公正世界仮説(山口周・武器になる哲学)

例えば、好景気のバブル景気世代と、バブル崩壊以降の就職氷河期世代では、就職の面で大変な差がある。
それは地域(都市・近郊・地方)や家庭環境(富裕層・中間所得層・貧困層)でも違うし、あらゆる条件、それと「運」によっても違うだろう。
これらは個人の努力ではどうすることも出来ない話であって、多くの場合「努力すれば報われる」というのは(世界はそうあるべきだという)「願望」に過ぎない。
ところが不思議なことに、良い職業に就けない、年収が低い、おまけに職場の人間関係が上手く行かないことまで「努力が足りない」という、「自助努力」でバッサリ斬って捨てられる。
かくいう私も、若い頃は「努力すれば報われる」と単純に信じていた。
昭和の価値観そのままだったから、「仕事で頑張れば収入が上がるし、役職もつく」そういうものだと思っていた。
ところが、基本給105,000円で残業代が1時間600円(曜日・時間に関係なく一律)では、毎日寝ずに土日関係なく月300時間以上働いたところで、所得税と厚生年金その他を払った手取り金額は月に14万円にもならなかった(遅刻は1分でも時間700円天引き)。
夏と冬のボーナスも基本給✕1.5ヶ月分出たのが最高金額で、当時は現金支給だったから、自分の机で貰ったボーナス袋を立ててやった。
パタッ、ジャラ・・・もう、これ以上は無理だと思っていて、用意していた退職願を出して会社を辞めた。

「やりたいこと」は努力ではなく「才能」  

そもそも母が「読み聞かせ」で読むのが外国の偉人ばかりなのが不満で、豊田佐吉の伝記を学校の図書室で発見して勝手に感動していたが、同じ発明家でもエジソンは、私にとってはただ退屈だった。
確かにエジソンは偉い人なんだろうとは思ったが、面白みもスゴさも、全然分からない。つまり、心が動かない(感動しない)から退屈でしかない。
それは他の外国人の伝記でも同じだったし、なんで母がそんな偉人ばかりを読み聞かせるのか不思議だった。たとえ聞いたとしても・・・エジソンの場合は何でも疑問に思うことについて教えてくれる(または一緒に考えてくれる)母親がいたが、私の母は質問しても「そんなこと、お母さんには分からないよ」と言うばかりだった。
ともあれ、歴史に名を残す偉人は世界にも日本にも一杯いるし、名経営者と呼ばれる人も数多くいるが、それらの人の伝記や自伝、サクセス・ストーリーは世にあふれている。
だが、それらを今、どれだけの人が読むだろう? またはYouTubeその他でどれだけの人が視聴するのだろう?
中には参考になったり、勉強になる話はあると思うし、リー・アイアコッカのように超絶面白い自伝を書いて全世界で大ベストセラーになったりするのは極端な例でしかなくて、多くの場合はこういった偉人や成功者の話は「思い当たるフシがある」場合の参考程度で、自分事とは考えない。
なぜかと言えば、多くの人は大発明家になりたいワケでも、大会社を経営したいワケでも、歴史に名前を残す大政治家になりたいワケでもないからだ。
こうも言える。エジソンは電球を発明したいばっかりに、ありとあらゆる材料を試して結果として1万回に及ぶ実験を繰り返したに過ぎない。もっと言えば「1万回試すより、なんかいい方法はなかったの?」と。
ともあれ、電球の発明を取材した新聞記者が「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」と名言に仕立て上げてしまい(そうすれば記事が読まれて売れるから)、「努力すれば報われる」的な話になって広まってしまったんだろうと思う。
恐らくエジソンは電球の発明にしたところで「やりたいこと」だったから、本人は別に努力したツモリはないと思うし、自分の発言が曲解されて伝わっただけだろう。

トーマス・アルバ・エジソン(出典:ウィキペディア)

他の偉人にせよ、名経営者でも、それが本人の「やりたいこと」だったから、それを努力や苦労とも思わず、「どうすれば出来るんだろう?」と創意工夫して試行錯誤したのだというのが、本当なんじゃないだろうか。
私にしたところで、40年前の小中学生が自力だけでBASICを使ってコード(プログラム)が書けるとは思わない。
でも、私はどうにかして「やりたい」と思ってしまった。だから、中学は2年生以降半分も通わず、それこそ寝食を忘れてパソコンに向っていた。
私は運よく地元のソフトハウスや、北坂戸にあったマイコンクラブに入会して勉強会に行ったり、マイコンクラブの関係でゲームソフトを開発・販売していたソフトハウスにも出入りが出来た。
正直に言えば、パソコン雑誌に書いてあることも、ソフトハウスやマイコンクラブで大人(プロ)たちが話している内容も、半分どころかほぼ理解不能だった。
今思えば、本当に頭の悪い子供だったと思う。それでも迎え入れてくれて、少しも排除することがなかったのは嬉しかったし、感謝しかない。
いくら地頭の悪いバカでも、何度も何度も「なんでこうなるんだ?」と、自分なりに調べたりコードを追いかければ分かることも出てくる。「じゃあ、こうするとどうだろう?」と試行錯誤するうちに、自分でもオリジナルのコードが書けるようになる。
分かる範囲や出来ることが少しでも増えれば面白さが増すから、とにかくのめり込む。
私がここで言いたいのは、たとえ世界の偉人であっても私のような普通の人であっても、単純に人それぞれ「好きなこと」や「やりたいこと」が違うだけで、寝食を忘れてまで夢中になるほど「やりたいこと」があるのは、「才能」だということだ。
確かに生まれてきた時代・地域・家庭環境その他、様々な要因があるにせよ、「好きになる才能」以外にも出会えた「」も大きいとは思っている。
運に関して言えば、パソコンやソフトウェア、または自動車やバイクでも何でもいい、先進的な発明や、革新的な商品が必ずしも世の中に受け入れられたり、ヒットして売れたワケではないのは周知の通りだ。
ある程度は成功やヒットには法則があると思うが、何よりも自分が「やりたい」と思えることを愚直にやり続けられることが出来れば、そっちの方が人生は幸せだと思う。
事実、私なんかより遥かに優秀なSEやプログラマなんていくらでもいるし、社会的・経済的に成功したSEやプログラマも掃いて捨てるほどいる。
そんな人たちと自分を比べるなんて、そもそもおこがましい。尊敬の念を持てば足りることで、それ以上のことはない。

オーバーワークのススメ  

ワーク・ライフ・バランスや、クオリティ・オブ・ライフが常識と化してしまっている現在において、「オーバーワークを勧めるのは昭和の老害」と言われれば、それまでだ。
だから有形無形であれサービス残業をさせるような職場からは、一刻も早く離脱した方がいい。
そもそも論でいえば「仕事」とは何だろうか。試しに蔵書の『広辞苑』で調べてみた。

し・ごと【仕事】
① すること。しなくてはならない事。特に、職業・業務を指す。
② 事をかまえてすること。また、悪事。

出典:『広辞苑』(岩波書店・1998(平成10)年11月11日 第五版 第一刷発行)

天下の『広辞苑』なら、もっと教えてくれるんじゃないかという私の期待は、上記の通りアッサリ裏切られた。
私は経済学や労使関係の専門家ではないし、何も難しい話をしたいのではなく、「仕事とは価値の提供」だと考えている。
もっと言えば、「指示されたことをやるのは作業」でしかないし、産業革命以降あらゆるモノは動物や人力から動力を使った機械に置き換わって行ったワケで、それが現在AIやロボットに代替可能なら、AIやロボットに置き換わるのが自然だろう。
では、仕事での「価値」とは何か。それは「貢献」だと言える。
ザックリ言えば、企業の経営者は「売上・コスト・利益」の3つの数字を管理すればいい。
なぜなら、次の式が絶対の関係にあるからだ。

利益 = 売上 - コスト(仕入・固定費・変動費・人件費・その他の全費用)

企業は利益を出さないと存立しないから、利益を出すには売上を向上させるか、コストを低下させるしかない。
ゆえに、仕事とは「価値の提供=売上の貢献もしくはコスト低下の貢献」でしかない。
無論、あらゆる公務員や、医療や福祉分野等では必ずしも利益を最大化させる必要はないから、これがすべてだ!と暴言を吐くつもりはない。
人それぞれ「好きなこと」「やりたいこと」が違うように、「得意なこと」「苦手なこと」があるのも当然で、それぞれの人が自分の仕事に誇りを持って「価値の提供」をするのが理想ではある。
ところが、「価値を提供する」「組織や他人に貢献する」ことは、中々に難しい。
答えはひとつ。私の経験から言って「オーバーワーク」して人の2倍や3倍やるしか、自分や現状を変える手立てはない。
単に人より長時間働けという話だけではなく、具体的には新しい技能や技術を学んだり、専門書を読むなり研修やセミナーに参加する等、今の自分に足りないと思うことを、やれる範囲で徹底的にやるしかない。
これらは別に技術職に限ったことではなく、営業職なら簿記や会計を学んだり、マーケティングを学ぶのでもいいし、あるいは直接的に「売れる営業テクニック」を身に付けるのでもいい。
私のように「体系的に勉強したい」と思って、大学や大学院に入学して勉強するのもいいだろう。
確かに昼間働いて夜大学で勉強するのは実に大変だし、色々と嫌な思いをしたことも何度もあったが、卒業して「頑張った」という思いはあったものの、「努力した」「苦労した」とは思わない。大学で勉強するのは非常に面白くエクサイティングで、楽しかった。
ただし、これらのオーバーワークに「努力が必要」だと思うならやらない方がいいし、無理にやったところで続かない。

オーバーワーク(イメージ)

仮に今の仕事が不本意なもので、本当にやりたいことが別にあるなら、転職するなり起業するなりした方が幸せだし、そのための準備期間と割り切って今の仕事でベストを尽くすしかない。
「生活のため」とか「家族のため」と言い訳する前に、まず自分がやるべきことは何か?を考え、仕事の中に工夫や面白さ楽しさを見つけることからやってみるべきだろう。
どうせこの世の中に「正解」はないし、正解があるのは筆記試験や実技試験ぐらいでしかないから、年齢に関係なく実際に試行錯誤しないと本当のことは分からない。
それにマニュアル化された仕事は、所詮「作業」でしかないから、正社員より人件費の安い派遣社員やパート、アルバイトといった非正規雇用に急激に置き換わったのが「失われた30年」だったし、今後は全自動化された機械設備やAI、ロボット等に置き換わるだけだから、恐らくそんな事の意味を考えても無駄だろう。
なぜなら、人は人にしか感謝しないから。
もし仮に「誰も自分に感謝しない」と言うなら、まず自分が他人に感謝するのが先だ。
親・兄弟・姉妹・親戚といった親族でも、友人・知人・先輩・後輩・恋人でも、それがたとえSNSだけの知り合いでもいいし、利用するコンビニやスーパー、飲食店の店員さんでもいい。
ちょっとでも親切にされた時に、ひとこと「ありがとう」と言えば済むことだが、声に出して言いにくいなら心の中でつぶやくのでもいい。
感謝の気持ちを持たない人が感謝される道理はないが、だからといって感謝されようと思うのも変な話でしかなくて、それは不自然だから無理がある。
無理なことをしたところで努力と同じで続かないし、意味もない。
いずれにせよ、どんな就業形態であっても、感謝がない職場や顧客はいずれ滅びるから、そんなところでグズグズ我慢する理由や時間はない。

おわりに  

私を含め、人は何かしら「意味」を求める。
それが勉強でも仕事であっても、「やるべき理由」や「やるべき意味」が分からなかったり、納得できないと続かない「弱さ」がある。

永島慎二『ロマンコミック自選集 永島慎二① シリーズ青いカモメSIDE① 馬鹿狩り』(主婦の友社・1978(昭和53)年06月01日 初版発行)

若いなら若いなりに、若くないなら年相応に、人それぞれ「戦い方」がある。
ゆえに、若くない私はザックリと自分の来し方を振り返り、次のことを決めた。

  1. やりたいと思うことしかやらない(やりたくないことや無理なことはしない)
  2. 不満しか言わない人や、否定しかしない人、気持ちや優しさが通じ合わない人とは付き合わない
  3. 自分の評価は他人に任せるが、自分の価値は自分で守ってこれからも磨き続ける
  4. 全てにおいて無理に意味は求めない(ワカランものは永遠にワカラン)

上記 1. については、やりたいことをやれないまま後悔するのはイヤだということ。
これについては仕事面でもやりたいことしかやるつもりはないし、それだけに色々と大変だが、オーバーワークで自分や現状を変える腹を決めた。
上記 2. は、簡単に言えば「イヤな人とは付き合わない」ということ。
これは上記 3. に関連するが、ともかくメンタルが消耗するし、無理に他人の価値観と話に合わせる必要や理由はない。
最後に上記 4. は、「余計なことは考えない」ということ。やりたいことに夢中になっていれば、意味は後からいくらでも付いてくることを、私は経験で知っている。
それに、まさか世界中の本が読めるワケでも、理解が出来るワケでもあるまいし、自分の限界以上に考えても意味がなかったから。

以上、普通のオッサンが今まで勉強や経験で知ったり理解したことを、なるべく簡潔かつ正直に自分の言葉で書いてみた。
普通のオッサンの本音なんて、逆に今までなかったかも知れないから、参考に出来るところがあれば大いに参考にして欲しい。
本稿では偉人や名経営者、または著名人の言葉を一切引用しなかったから、参考になる(かも知れない)記事を追加して擱筆としたい。

参考記事  

 


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