新年のご挨拶と今年の抱負


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管理人「一日の労苦」(金木小学校 太宰治「微笑誠心」碑)

2026/01/05

新年明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。

毎年同じ様な記事を書いていても仕方あるめぇと思い、今年はちょいとばかり違った趣向にしようと思う。
別に何かを狙っているワケでもないが、昨年12月26日を最後に、年末年始はパソコンを閉じて本棚の積読本に挑もうと思ったので、そのことについて書いてみようと思う。

私の年末年始の過ごし方  

私は中学2年の13歳から、それこそ1日と空けず毎日パソコンのキーボードを叩かない日がないほどで、この40年間で入院した日々を除けば・・・
中には大風邪をひいて寝込んだり、二日酔いでどうしようもない日を除くと、ほぼ毎日、パソコンに向っている人生だ。
そんなに毎日ナニをしているのか?と言えば、こうした駄文を書いたり本サイトのように運営しているサイトのコンテンツを作っている以外は、圧倒的にコード(プログラム)を書いている。
無論、仕事でもそうだし、趣味を仕事にした業なのは仕方がないにせよ、仕事の延長線上の趣味のプログラミング(現在はPukiWiki関連)や、技術的なテストその他モロモロである。
ところが、積年の不摂生がたたりまくり、この4年ほどは思うようにコードも書けず好きな読書も出来ずで、しまいには緊急入院をして「もはやこれまで」と観念した。
それでも奇跡的にしぶとく生き永らえているものの、昨年は療養半分とは言え、パソコンに向かわなかった日がない。
それに、読みたいと思った本を購入するものの、どんどん溜まるばかりで読書が追いつかない。

リビングにある本棚の積読本コーナー

改めて本棚を整理して積読本を並べてみると、ゆうにこれだけ(に収まらないが)ある。
そこで、思い切って「デジタルデトックス」ではないが、パソコンとネットから離れて、年末年始は読書をして暮らそうと思った。
ひとつには、今の私にSNSを含めネットは時間の無駄(浪費)であるのと、年末年始の下らないテレビ番組を見ているのが無駄で苦痛だからだが、もっと言えば、ネットにつながるパソコンがあると「アレコレとやりたいことばかりで焦る」からに他ならない。
これは近年の私にとってはほとんど強迫観念に近くて、心身ともに疲弊してしまう。
今となっては若い頃のようにコードが書けるワケでもないし、同様に活字が頭に入るワケでもないから、好きな時にラジオや音楽を聴きながら、または散歩がてらに好きな読書をして暮らそう。そのぐらいの贅沢をしてみるべきじゃないのか、と思った次第だ。
実際、昨年2025年は昭和100年で戦後80年という年でありながら、私は書こうと思っていた「特攻隊の真実」をテーマにした記事が構想がまとまらず書けず終いで、憂国忌にも参加できず、三島由紀夫にすら存分に思いを馳せることが出来なかった。
昨年は昭和100年で三島由紀夫生誕100年でもあり、私の父も生きていたら100歳だから、という思いが空回りし続けていた。
結局のところ、体調と世事にかまけていたら、アッという間に日々を過ごしてしまったのは否めない。
独自に進めているPukiWikiの開発も、やはり気ばかり焦って思うように進んではおらず、正直「どうしたものか・・・」と思っていた。
そんな折、たまたま三島由紀夫関連でXのスペースに誘われてスピーカーとしてデビューしてみたものの、右派や保守系の人たちの会話を聞いていると「こんなモンか」とは思うし、やはりそれらの人たちはSNSが中心だから、ラチが明かないと思わざるを得ない。
ネットで何らかの活動をするなら、その大前提として「サイトはストック、SNSはフロー」であるから、必要に応じてストックしてあるサイトの中からフローとして事実や情報等を流せば良い。
例えば、「なぜ日本は戦争をしたのか」「戦後はどうだったのか」に関していえば、私なら次のストック(記事)がある。

無論、大東亜戦争に関してですら、これだけでは足りない。
ゆえに「特攻隊の真実」をテーマに記事を書こうとしたし(今年の夏には書き上げる予定)、これ以外にもシベリア抑留に関して等、書こうと思えばいくらでもテーマはある。
それには私自身が読書するなり、何等かの行動や活動をして勉強していなければ話にならないし、それだけに留まらない私の思いがある。
ともあれ、必要に応じて自サイトのストックからフローとして周知していかなければ、個人同士でも法人内であっても最低限の前提条件が揃わないから、会話にならないのは言うまでもない。
どうでもいいヒマ潰しの雑談ならともかく、会話にならなければ議論は空疎なままで時間の無駄だ。

城山三郎と昭和ニッポン  

私が城山三郎の作品に出会った(実際に読んだ)のは、大学に入学した1999(平成11)年だった。
実はそれより4~5年ほど前、旅行業界向けの業務パッケージシステムの開発をしていた頃に、大手旅行代理店その他を経た、世界各国での添乗経験も豊富な旅行業界のベテランの人から城山三郎の『臨3311に乗れ』を勧められていた。
その当時、毎晩遅くまで仕事をした帰り、事務所に残っている開発・営業・サポートのメンバーで夕飯がてら呑みに行くのが日課のようなものだったが、ある晩「あなたは読書家のようだし、近畿日本ツーリストの創業の話だから面白いよ」と勧められた。
また別の晩に「落合信彦に感化されてね、それで僕も添乗員として世界を回りながら一生懸命働きながらお金貯めてアメリカの大学に入ったんだ」と、落合信彦の『アメリカよ!あめりかよ!』を勧められた。
この人は読書家で親しくさせてもらっていたのもあって、どちらもヒマを見つけて本屋で探して文庫を買い求めてはいたが、日々の仕事と資格取得の勉強で読書するヒマがなく、本棚に積読していた。
その後、私自身「やっぱり大学で体系的に勉強せんとダメか」と思い詰めていた時、本棚にあった『アメリカよ!あめりかよ!』を読んで奮い立った。
仕事の合間に慌ただしく第一志望の大学に入学して、やっと『臨3311に乗れ』を読み始めたが、これがとんでもなく面白く、ページから目が離せないほど熱中した。
私が入学して勉強していたのが商学部というのもあるが、商学とは世界の近代史そのものでもあり、企業経営と社員の在り方は城山三郎が描いた「組織と個」のテーマでもある。
それまでマンガを除いてパソコン関係以外だと日本近代文学と多少の外国文学ぐらいしか読んで来なかった私は、大学入学とともに眼が開かれた思いがして、文庫で読める城山三郎作品は書店で取り寄せてでも可能な限り読み尽くす勢いで、20冊以上購入して読んでいた。

城山三郎『外食王の飢え』(講談社文庫・1991年12月12日 第11刷発行)

外食王の飢え (講談社文庫 し 3-7)
城山 三郎(著)講談社
1987/02/15 発売
¥10
2026/01/05 18:04 現在(Amazon)

先日、絶版で入手できずに忘れていたこの『外食王の飢え』を、たまたま古本で見つけて購入した。
久しぶりの城山三郎にワクワクしたのもそうだが、年末年始は読書で暮らそうと思ったキッカケになった。
それと・・・ここ4年ほど身体を壊して大病したのもあるが、私の中で「近代とは何だったのか?」という疑問が、ナンとはなしにずーーーっと今も引っかかっているのだ。
それは月並みで分かりやすい言い方をすれば、「なんでこんなにアクセク働いているんだろう?」「幸せってなんだろう?」といった疑問ではあるが、私は以前から漠然と「産業革命が諸悪の本」だと考えている。
産業革命から近代の世界史や、特に日本の近現代史を捉えるにあたって、城山三郎の作品を読み込んでいくと非常に面白い視点に気付く。
城山三郎が日本初(恐らく世界初)の「経済小説」ジャンルを築いた高度経済成長期から、私が生まれ育った「一億総中流」時代とバブル景気、そしてバブル崩壊と「失われた30年」の現在を考えると、なぜ今の日本は右傾化しつつあるのか?
端的に言えば、それは私を含む一般庶民の生活が苦しいからであり、日本全体として中間所得層が細っているから民主主義が機能不全に陥りつつあって、それがSNSや政治の面でナショナリズムとして噴出していると考えれば分かりやすい。
これは何も日本だけでなく、アメリカを見たところで共和党のトランプ大統領が再選して保守勢力が勢いを増しているし、ヨーロッパではEUで経済を牽引しているドイツとフランス、かつて日本と同盟国だったイタリアといった国々でも、10年ほど前から極右勢力や保守政党が台頭していることでも明らかだ。
結局のところ、蒸気機関の発明とその応用に端を発した産業革命は、農業や漁業を含めてあらゆる家内制手工業を産業化していった歴史だ。
そして産業革命によって経済モデルと政治体制が確立し、世界が一斉に中世から近代に進む契機になった。
近代になって学校・職場・その他で否応なしに他人と関わる社会を形成することになったが、近代化はその過程で(現在でも)人間を扱う文学と密接な関わりがあるものの、政治的な視点で経済は見えても文学は見えず、逆にしたところで経済的な視点で政治は見えても文学は見えない。
つまり、城山三郎以前に文学から政治や経済の視点を持った作家はいなかった、と言えるのではないか。
それは近代化を含め、現在にしたところで圧倒的大多数に文学が顧みられないのは、それだけ人間を置き去りにしてはいないか?と指摘出来るだろう。
改めて城山三郎を読み返すのにも、未読だった『外食王の飢え』は格好のキッカケになったし、私が末席にいる(籍があるのかも今や怪しいが)三島由紀夫研究会の大先輩・宮崎正弘が書いた、これも未読だった『三島由紀夫『以後』―日本が「日本でなくなる日」』が驚くべき事実とともに、大いに示唆を与えてくれた。
いずれにせよ、戦後日本はGHQによるWGIPの洗脳と共産党が合法化されたことも相まって、極端な左傾化と経済偏重路線が続いて現在がある。
ゆえに、三島由紀夫を持ち出すまでもなく、日本の文化・伝統・道統による右傾化は必要ではあるものの、根本に庶民(自分たち)が貧しいといった理由でのナショナリズムの右傾化は危険だ。
なぜなら、アメリカ発の世界恐慌が遠因になって第二次世界大戦が引き起こされたことを考えれば、当時の日本人が大挙して満州に渡って開拓した理由と満州事変、そして大東亜戦争が起きた背景が分かりやすく理解出来るに違いない。
例えば極端な例だが、右傾化とナショナリズムによる排外主義が行き過ぎれば、アドルフ・ヒトラーわが闘争』のようにユダヤ人排斥のようなことになる。

アドルフ・ヒトラー『わが闘争』(角川文庫・1993年05月10日 第32刷発行)

「まさか日本にアウシュビッツのような強制収容所なんて」と笑うかも知れないが、隣国の支那ではウイグル人の強制収容所が今日も不気味な煙を吐いている現実がある。
そういった意味でも近代を考えるとき、ユダヤ人哲学者でナチスの迫害からアメリカに亡命したハンナ・アーレント人間の条件』も大いに参考になるかも知れないと、未だにハンナ・アーレントを読んでいない勉強不足の私は考えている。
やはり、人間(文学)と信念(哲学)なき経営(政治・経済・人生)はダメだということなんだろうと思う。

昨年の総括と今年の抱負  

昨年は太宰治イベント情報コンテンツ、それに連動する形で太宰治アーカイブズコンテンツの更新以外では、管理人「一日の労苦」聖地巡礼の旅コンテンツを少しずつ書き進めて更新して行った。
これら以外で昨年では、次のコンテンツを新規に追加した。

  1. 坂口安吾名言集
  2. 三島由紀夫名言集
  3. 文学声劇台本

実は本サイトを始める前の段階で、すでにX(旧Twitter)では太宰治名言Botを運用していた。
それを本サイト用のアカウントに改めた上でキラーコンテンツとして太宰治名言集にしたのだが、始めた時期はバラバラながら同様に坂口安吾三島由紀夫の名言Botも以前から運用していた。
それとは全然別で、ひょんなことから太宰治をテーマに声劇台本を書くハメになってしまい、結果として拙い台本を書いたが、それが第二弾、第三弾という話に膨らんでしまった。
私にしたところで声劇なんて理解と興味の外でしかなかったが、ネット特有の新しい演劇としての声劇と、その台本によって(特に日本近代)文学に目を向けさせる意義については、認めざるを得なかった。
そこでいくつか文学声劇台本としてシリーズ化する形で台本を書いたが(使わせてもらっていて文句を言うのもアレだが)、声劇台本置き場は若干の使いにくさ(バグ臭さ)以上に、台本ページの貧弱さとSEOをまるで考慮していない作りに我慢がならず、取り急ぎ本サイトでコンテンツ化した経緯がある。
コンテンツ化に際しては、本サイトはその名の通り「太宰治真理教」だから、あくまでメインは太宰治ではあるが、そうかといって太宰だけに固執してはダメだろうという思いもあった。
であるなら、今まで無関係に運用していた坂口安吾三島由紀夫の名言Botの内容を、本サイトのコンテンツにしないという法はない。
そもそも太宰治を始めとしたこれら作家の名言Botは、あくまで私が好きな作家ではあるが、ファンよりもむしろ文学に興味がなく読まない人たちに向けた「興味喚起」から始めたから、そういった意味では文学声劇台本コンテンツと根は同じなのだ。
こうしてコンテンツを拡充する一方で、手つかずのままになっているのが太宰治小ネタ集コンテンツで、アレコレとネタを考えて用意しつつも、私の中で構想がデッドロック状態のままだった。
その要因のひとつには、本サイトで利用している独自開発のPukiWikiの開発が進んでいないことと、やはり私の読書が思うように進まなかったことが大きい。
私は子供の頃からマンガにしたところで読むのが人より遅く、この年末年始にパソコンを封印して読書をしてみたところで、読了したのは『外食王の飢え』と『三島由紀夫『以後』―日本が「日本でなくなる日」』の2冊でしかない。
特にこの『三島由紀夫『以後』―日本が「日本でなくなる日」』に登場する作家や評論家、学者(大学教授)、政治家といった文化人たちの名前の半分ぐらいは知らないといった有り様で、自分の不勉強さ加減をイヤというほど思い知った。

宮崎正弘『三島由紀夫『以後』―日本が「日本でなくなる日」』(並木書房・1999年10月01日 発行)

三島由紀夫『以後』
宮崎 正弘(著)並木書房
1999/09/01 発売
¥1,870
2026/01/05 18:04 現在(Amazon)

本書には、例えば小林秀雄の名前がちょいちょい出るが、私は高校生の頃に中原中也が好きなついでに、中也から長谷川泰子を奪った小林秀雄を少しだけ読んだ程度で、興味を失っていた。
前述したように、私の読書の眼が広く開かれたのは大学に入学した1999(平成11)年で(奇しくも本書の出版年でもある)、その時初めて小林秀雄が母校の文学部で教授をしていたことと、戦後の保守論壇の中心にいたことを知ったぐらいで、当時は政治にも全く興味がない始末だった。
仮に平成を10年ごとに前期・中期・後期とするなら、平成前期である1993(平成05)年に太宰の直接の師だった井伏鱒二が亡くなり、その時はまだ細々とパソコン通信草の根BBSで文学Sigをやっていた頃だったから、自分が管理している文学Sigのログを整理していた記憶だけがやけに鮮明だ。
しかし、本書を読むと小林秀雄を含め戦前からの主要な保守論壇人の作家や評論家は、ほぼ平成前期までに物故していた事実に改めて驚いた。
ここで自分を鼓舞するためにも、少し引用したい。

 林房雄は生前、「正気の狂気」という概念をよく口にした。革命や維新を行うのはファナティックな情念と、狂気のエネルギーの集約であると。正気の人間が狂気性を帯びたところからコトは始まるのである。
 村松の場合は、その狂気を観察する側だった。
 昭和四十五年秋、血走った目を据えた三島由紀夫は久しぶりで会った村松に向って、キミはまず頭の中の攘夷を行う必要がある、と言い放った。
 ――自分をファナティックにできない人間はだめだよ、と(村松剛三島由紀夫の世界』新潮社)。

出典:宮崎正弘三島由紀夫『以後』―日本が「日本でなくなる日」』(並木書房・1999年10月01日 発行・p26)

上記引用部分の文脈での「ファナティック」は、明らかに日本と日本精神や神道といった「狂信的」の意味で捉えられるが、他方で本サイト(「太宰治真理教」というサイト名は多分に狂信的ではあるが)や、私設松本零士博物館なんてサイトは「熱狂的」な意味で「ファナティック」ではあるだろう。
しかしながら、ファナティシズムの行き着く先はどこだろう? また、ファナティックな情念と狂気のエネルギーを持続させるには・・・?
思えば1980年代にアニメから端を発した蔑称だった「おたく」が、1990年代を経てインターネット常時接続時代の2000年代には「特定分野の専門家」として尊敬の念すら抱かれたのもつかの間、いつしか「推し」というライトな意味合いの言葉の方が一般的になってしまった。
そんなようなことを色々と考えながら本書を日がな一日読み進めると、章を追えば追うほど、次第に目から汗が流れるのに気付いた。
特に感動的なナニモノが書かれているワケではないし、読んでいる私に怒りや悲しみ、あるいは諦めといった感情があるでもなく、自然と流れる自分の目の塩水の意味が分からない。
読了して思うことは・・・『人間失格』の第三の手記で主人公・大庭葉蔵が最後に述べる「ただ、一さいは過ぎて行きます。」という、無常にも似たような感想だった。
・・・もう、5~6年前になるだろうか。
三島由紀夫研究会の代表幹事である玉川博己さんに、我々や次世代に向けて(私が聞き役で)YouTubeでの複数回にわたるインタビューの申し入れをしたことがあった。
玉川さんは急な申し出に驚いたようだったが、快諾していただいたものの、これは企画だけでポシャってしまった。
企画で言えば、YouTube以外にも考えていたことはあったが、お蔵入りにしたのもあって、当時運営して毎日更新していたサイトは「更新停止宣言」をし、現在も放置したまま保守系サイトの墓標にしている。
詰まるところ、本書で著者の宮崎パイセンが「衆愚政治のバカバカしさが骨身に染みていた」と書いているように、私も選挙ボランティアの経験があるから同感だったし、リアルとネットの保守活動のバカバカしさに呆れ果てて、ファナティックでなくなってしまったのかも知れない。
私は元々が社会的な成功といった野望がないから、政治や保守論壇に進むといった野心があろうハズもないが、自分なりにキッチリと一線を引いて関わることを辞めていた。
私が流した塩水は、それを今になって「惜しい」と思う心がそうさせたのかも分からないが、時代的にも私はそんな役割ではないと思っているから、意外にもサッパリとした塩水だった。
むしろ、昨年9月下旬に『file日本学生新聞縮小版』の冊子が郵送されて来て、同時にそのウェブサイト(本稿執筆時点でほぼ「鋭意制作中」)があることを知っていたから、私は自分が得意とするIT分野でこれからもファナティックな人生を送るべきなんだろうと思っている。
それに、昨年6月頃に提案した『新聞が伝えた通州事件 1937-1945』のウェブ化も、今年は進めて行くことになるかも知れない。
とにもかくにも私は圧倒的に勉強不足だから、今年の抱負は大いに勉強するのは当然として、独自開発のPukiWikiのパッケージ化とその販売、そして声劇台本表示プラグインの新規開発・リリースと、本サイトではその新規開発したプラグインでの文学声劇台本を完全コンテンツ化としたい。

おわりに  

散歩がてら読書していた河川敷

私は高校生の頃、バイクに乗って友人と街を走り回っては、バイトに明け暮れていた。
バイトと言っても、当時の高校生のバイトは時給が520円とか、良くて580円とかの時代で、労働基準法からして18歳未満の22時以降の就労は禁止されている。
そもそも校則でバイクもバイトも禁止ではあったが、バイトしてもお金がないから某ファミレスでおかわり無料のホットコーヒーで何時間でも粘る。
ある土曜の午後、友人と学校終わりにいつもの某ファミレスにおかわり無料のコーヒーが目当てで昼食がてらに寄った(当時は土曜日の午前中は授業があったし、私と友人はコッソリとバイク通学をしていた)。
食事をライス大盛りのセットで注文すると、しばらくしてウェートレスが戻って来て「済みません、ライスが切れてしまって。ジャンバラヤなら出来るんですが」と言う。
ちょっと待て。ライスが切れていてジャンバラヤが出来るというのは、どういう理屈だ?と聞いてみると、若いウェートレスのお姉さんはモジモジしながら「済みません」「出来ないんです」を繰り返す。
対面の友人はニヤニヤしながら「◯◯よ、お姉さんが可愛そうだろ。お米がないんですよね? なら仕方ないじゃん」と笑っている。
仕方なしジャンバラヤに注文を変えたが、不服そうな私に友人が小声で「冷凍なんだよ」と言いながら、今にも吹き出しそうだ。「そりゃ、そうだよな!」と2人で大笑いした。
その夏、父が亡くなって葬儀には母方の親戚が来て滞りなく済んだが、母の兄の嫁である伯母さんに別れしな「◯◯、お前この後(将来)どうするん?」ポツリと聞かれた。
私は長男だし、母の実家は代々理容店をやっているから「分かんねぇ。プログラマーになりたいけど、ダメなら伯母さんの所にでも床屋の修行に行くよ」と冗談交じりに言った。
伯母は呆れたとも諦めたとも何とも言えない顔で「プログラマーなんて商売は知らねぇけんども、床屋はダメだぁ。株式会社にゃ勝てねぇもん」としんみり言い、力なく笑いながら「やりてぇことがあるんなら、しっかりやれぇ」と、軽く励ますような口調で別れた。
その当時ですら、駅前だけでなく住宅地に出現したスーパーが活況で、パパ・ママ・アンちゃんの3チャン商売の個人店(肉屋・魚屋・八百屋等)は閉店する店が増え、商店街はすっかり斜陽で寂れつつあった。
代わりにチェーン展開のコンビニとファミレス、回転寿司が急速に増えていった時代だったから、伯母は実感を込めて鮨に蕎麦、理容師や美容師といった「職人」も、町から次第に駆逐される運命を言っていたのだった。
そこで『外食王の飢え』だが、文庫の解説を読むまでもなく、作品に登場する「レオーネ」はロイヤル(現ロイヤルホールディングス)だし、対する「サンセット」はすかいらーく(現すかいらーくホールディングス)がモデルであるのが分かる。
本作は読みどころがいくつもあるが、その中でも印象的なのは、主人公で「レオーネ」の創業社長である倉原礼一が「家賃の高い場所で、わざわざ芋や玉ねぎの皮をむくことはない」と考え、アメリカの大手外食産業がやっているようにセントラル・キッチンを導入しようとして、現場のコックたちと対立する場面だ。
ちょっと長いが、引用してみよう。

 倉原は、目標が通じないのを感じた。同じ会社には居たが、別の世界に生きてた人たちなのだ。だだし、それならそれで、つなぎとめる手はある。
「ベテランのコックの給与を改善する。コックの人員整理はしないし、調理場を離れるコックには、しかるべきポストを用意する」
 コックたちは、顔を見合わせたが、やがて、そろってこれにもかぶりを振った。
「料理は、われわれの生きがいだ。生きがいを奪われて、何のポストだ」
「何とかキッチンなんて、邪道だ。調理場じゃない。工場みたいなところで、料理ができるもんか」等々。
「料理をつくること自体は、全く変らない。ただ、つくる手続きが少し合理化されるだけだ」と、倉原がいえば、
「合理化とは、もうけることか」
「いや、その分だけ余計に食材に金をかけてもいい」
「金をかけるなら、われわれの腕にかけて欲しい。どんな材料からでも、いい料理をつくるのが、ほんとうのコックなんだ」
 コック仲間からは、拍手が出た。
 倉原は、腹が立ってきた。
 彼等は、料理人の世界にとじこもって、そこから一歩も出ようとしない。自分たちの今日明日のことしか頭にない。
 それでは、うまい食物屋にはなれても、とても一つの産業(インダストリー)へは進めなくなる。といって、この問題で妥協はあり得なかった。

出典:城山三郎外食王の飢え』(講談社文庫・1991年12月12日 第11刷発行・pp.111-112)

上記引用部分で、コックの言い分も、倉原の言い分も、どちらもモットモだと思うだろうし、どちらが間違いだという問題でもない。
私はSEでプログラマな技術者だから、どちらかと言えばコック側の立場にいるものの、外食だからといって誰もが気軽にミシェランの星付きレストランに行かないように、AIが台頭して便利だからという風潮に反対はしない。
産業革命以来、自分の職業が「産業(インダストリー)」になってしまった以上、個人は別の戦い方をしなければならないのは自明のことなのだ。
しかしながら、経済的な効率と合理性だけを追い求めた挙げ句、日本やアメリカその他の先進国の産業は空洞化してしまった。
それは単に人件費の問題だけではなく、バカな話だが、物流革命によって国内の地価が安い地方で生産して首都圏にトラックで運ぶ運賃よりも、東南アジアで大量生産してコンテナで運ぶ船賃の方が、製品(商品)単位あたりのコストが安くつく。
これらのことを踏まえつつ、自国内でも移民に労働力を頼っている実態をどう考え、どう行動するかが、これからのAI時代なのだろうと思う。
ともあれ、好きな読書で読みたい本が40冊以上も本棚に積読するほどあって、好きなパソコンをいじっていられるのだから私は幸せだし、今年は良い年になるだろう(多分)。
本稿は十分すぎるほど長くなったから、AIについて突っ込んだ言及は私設松本零士博物館新年の挨拶記事で書くことにする。
それにしても、年末ギリギリになって不破哲三・元日本共産党中央委員会議長の訃報があったかと思えば、年明け早々にアメリカがベネゼエラに大規模攻撃をかけて大統領を拘束というニュースだ。
日経平均株価バブル景気の頃でもあり得なかった5万円台を付ける等、強者が弱者をねじ伏せるが如き世相が続きそうではあるな。

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