タグ:聖地巡礼の旅, 1995(平成07)年, 太宰治没後55年
2024/07/30 (火) 更新
私は以前勤めていた会社の先輩の紹介で、1995(平成07)年1月からとあるSI企業に常駐し、旅行業界向けの業務パッケージシステムの開発をやることになった。
システムの要求内容としては、前年から流行しているWindows3.1を使って「1日目は出発場所からGUIで観光施設や食事場所、宿泊施設の入力が出来て、2日目は宿泊施設を出発場所として、同じように観光施設や食事場所を入力して1日目の集合場所までの旅行の行程表を自動的に作りたい」といったモノだった。
( ゚Д゚) ハァ? なに寝言こいてんの?
想定しているのはバスでの団体旅行で、どこから高速に乗ってSAやPAで休憩を挟みつつ、高速を降りてからの観光施設や宿泊施設までの距離と時間を算出しなければならない。
これを実現するには、カーナビほどの精度は不要ながらも「道路検索」がなければならないし、高速料金(これも小型・中型・大型で料金が違う)も取得せにゃならん。
旅行はバス移動の他に、特急や新幹線、フェリーを使う場合があるから、「時刻表検索」も必要だ。
当然ながら観光施設や宿泊施設もデータベース化して、それぞれ「観光施設検索」と「宿泊施設検索」がなければ話にならない。
その会社の社員はお粗末ながらWindows3.1でファイル操作すら出来ず、わざわざMS-DOSに戻ってFILMTNという、フリーのファイル操作ユーティリティでファイルを削除したりコピーしている始末だ。
当時、Windows3.1で使えるプログラミング言語はVisual Basic Ver2.0ほぼ一択で、Windowsでは「ボタンがクリックされた」「コンボボックスのリストが変更された」といった、イベントに対してコードを書くイベント駆動型プログラミングとなる。
Windows3.1でファイル操作すら出来ない社員が、当然理解しているハズもない。
それもそのハズ「技術営業」という、技術も営業もダメな社員が業務パッケージシステムを設計しようというのだから、ハナから無理がある。
私は出勤してもヒマなので、資料として置いてある宿泊施設ガイドみたいな市販本を読んでいた。
かねてより、報道その他で「斜陽館」が売りに出されていることを知っていたため、住所と電話番号をメモっておいて「旅館の内に斜陽館に宿泊しよう!」と心に決めた。
だが、そんな開発プロジェクトだから、実際に旅行に出られたのは同年7月になってからで、それでも無理やりに夏休みを2日間取っての強行軍だった。
当時は今のようにスマホどころかデジタルカメラもない時代で、バカチョンの銀塩カメラと常温保存していたフィルムで写真を撮りまくった。
案の定、フィルムが劣化していたのもあり、私のウデも悪いため、焼き上がった印画紙の写真のクオリティは低いが、旅行時の失いつつある記憶と携行していたB5ノートの内容を反映させながら、この短い旅行記を書いてみたいと思う。
何せ今から30年近くも前の旅行記なので、勘違いや間違いがあるかも知れないが、その点はご容赦願いたい。