「太宰治イベント情報」こぼれ話


タグ管理人「一日の労苦」, 2020(令和02)年, 太宰治イベント情報, 林忠彦


 
管理人「一日の労苦」(金木小学校 太宰治「微笑誠心」碑)

2020/01/12

「太宰治イベント情報」こぼれ話  

本サイトをオープンした際に、トップページとサイトロゴをどうするか非常に悩み、最初に掲載していたトップページ写真の使用許諾を取ることに関しての顛末は、トップページ及びサイトロゴ変更記録ページに詳しく記録してある。
結果として林忠彦氏の写真の使用許諾は得られなかったが、氏の出版物やイベントのお話を伺っており、ちゃんとTiddlyWikiでメモを管理している。

TiddlyWikiのメモ

そこで先日、「年も明けたし、ノエビアのイベント情報を追加すっか」と思い、ノエビア銀座ショールーム(正確には「ノエビア銀座ギャラリー」)のイベントをググッてみるも、ネットのどこにも情報がない。
あれ?オカシイな?と思って(ちょっと時間もあったので)、たまたま検索して出てきたノエビアお客様相談室へ電話してみた。
一応、これでも分別盛りの大人なので(?)この電話番号で銀座ギャラリーのことを聞いて良いかどうか?と最初に確認し、「あの、1月14日から銀座ギャラリーで林忠彦さんの写真展があると思うんですが、どこにも情報が出ていないので教えて貰えないでしょうか」と切り出した。
電話に出た担当者は明らかに驚いたようで、「それは『戦後の記憶』として14日から開催予定の展覧会のことだと思いますが、どこにも情報は出しておりません。なぜご存知なんですか?」と逆に聞かれてしまった。Σ(°Д°)
私もこの逆質問にはいささか動揺したが、とっさに「自分は決して怪しい者ではない」ことを説明して証明せねばなるまい、と直感した。
昨年は太宰治生誕110年のメモリアル・イヤーで、それを記念して個人的にサイトを立ち上げて太宰治関連イベントの情報発信もしていることを説明し、林忠彦氏の著作権管理者からイベントがあることを昨年夏に直接聞いていたことを説明したのだが、電話越しの担当者は「あら!そうだったのですね。ご親族の方からお聞きとは、部外者は知らないはずなのに、そうでしたか」と向こうは向こうで驚いたんだか感心したんだか、妙に興奮した感じではあった。会話の端々に、かすかだが太宰治ファン特有の「におい」がした。
そこで、「『太宰治真理教』でGoogleから検索してもらえると一発で出るので、それで私のサイトを見ていただければ・・・」と言うや、「ちょっとお待ち下さい・・・あ、コレですね!」の声。
ヾ(゚Д゚ )ォィォィ 仕事と話が早ぇな!(笑)

銀座は日本の名だたる大企業の本社や、そのショールームやギャラリーが結構ある。しかし、そういった企業の「ショールーム」や「ギャラリー」と名が付く施設は、華やかな銀座のイメージとは違い、たいていは虚しく閑古鳥が鳴いていたりする。文化的にも企画的にも、かなり有意義な展示等をしていても、世人は知る由もない。
これは私の勝手な想像だが、銀座にあるそういった施設こそ、まったく収益にならないけども、興味・関心を持ってもらいたいのだろう。本来なら積極的に宣伝したいところだろうが、企業としては直接収益にもならない閑古鳥が鳴くような施設に、費用対効果が見込めない広告宣伝費を潤沢に出すハズがない。だから閑古鳥が・・・の無限ループだとは思う。
そんな世間や本社からも忘れられているような施設に関心を持ち、しかもタダで宣伝すると言っている奇特な変態がわざわざ問い合せて来ているのだから、「棚からぼたもち」的な驚きと喜び(?)があったのかも知れない。
ともかく、私の電話に出た担当者はとても優秀で仕事熱心な方のようで、本サイトを手早く一巡して見たと思われるが、非常に好意的に万事理解してくれて「こちらは担当部署ではないので、担当部署に連絡して早急に改めてご連絡申し上げます」と言って下さった。
なんとまぁ、ありがたいお話だろうか。やっぱ、一流企業は対応が違うやね。
翌日の午後遅く、広報担当の方(しかもなぜか携帯電話)から電話があり、翌日に本社サイトにリリースが出ることを教えていただいた。
前日の電話の担当者に比べると素っ気ない感じの対応だったが、よくよく考えてみれば別に太宰治に直接関係する展覧会ではないし、宣伝すると言っても、つい最近立ち上がった、取るに足りない個人サイトである。特に太宰治に興味も関心もない人からすれば、単に「面倒な電話連絡」であったろうと思う。それでも約束を違わず、ちゃんと連絡して教えてくれるだけで感謝!である。

・・・ここまで読んだ人は、ある疑問を抱いたと思う。

なんでそんなに林忠彦推しなの?

その疑問に答えるため、私がなぜ林忠彦氏の写真をトップページとサイトロゴにしたかったか、その使用許諾を受けるために著作権管理者にどのような文章を書き送った(FAXした)か、特別にちょっとだけお教えする。

2.写真使用許諾について;

 今年は太宰治生誕110年のメモリアル・イヤーであり、また、近年のインターネットの普及と、若い人達を中心に「太宰治ブーム」が再来しており、太宰治について30年以上も前からファンであり、毎年「桜桃忌」に参加している私がネットで情報発信をする意義があるのではないか、と愚考しました。
 なぜ「林忠彦氏が銀座『ルパン』で撮影した太宰治の写真なのか?」ですが、私が中学生の頃に初めて見た太宰治の写真がこの写真であり、現在に至るまで一番好きな写真であります。
当時の人としては大柄な太宰治が背広の上着を脱ぎ、シャツの袖をまくってズボンからは雑誌か新聞のようなモノをはみ出させ、高い脚の椅子の上に狭苦しく胡座をかいている。
写真ではトリミングされていますが、太宰治が下から右斜め上に顔を上げて見ているのが、カウンターの右側に座っている坂口安吾ですね。この事実を知ったのはずいぶんと後ですが、坂口安吾のファン(毎年「安吾忌」にも参加しています)でもあるので、余計に好きなのです(20代になってからは「ルパン」にも相当通いました)。
 自分で太宰治のサイトを運営するのであれば、まずこの写真をおいて他にないと考えており、ただ何の許諾も受けずにサイトで写真を使うのは、敬愛する太宰治にも、何より写真を撮影された林忠彦氏に対して失礼であると考え、使用許可をいただきたくお願いする次第です。

※2019年07月07日FAX送信より抜粋

正確に言えば、文庫の「著者近影」で太宰治の写真は見たことはあった。だから「中学生の頃に初めて見た太宰治の写真」は、そういった意味では正確ではない。
しかしながら、「ちゃんとした写真」として初めて見たのは有名な「ルパン」での写真であったし、今に至るまで「一番好きな写真」であることにウソはない。
その昔、古本屋で買い求めた『文士の時代』(林忠彦・朝日新聞社・1986年4月25日第一刷発行)は、今や表紙のカバーは色あせているが、今でもタマに開く、私の愛読書のひとつでもある。

林忠彦『文士の時代』

私は40を過ぎてから、やっと保守に目覚めたような愚鈍でウカツな読書子なので、「戦後ニッポン」の本当の姿を知るようになったのは、割と最近だ。近現代史的な「戦後の日本」は知識として知っているし、太宰治をはじめ近代日本文学は若い頃から乱読しているが、その「知識」が「思想」と結び付くのに、大いに時間がかかった。
それを述べるとまた長くなるので割愛するが、東京大空襲で銀座も焼け野原となり、そこから復興した現在の銀座というのも、これはまた実にスゴイ話でもあるのだ。
戦後すぐぐらいから林忠彦氏が「ルパン」を事務所代わりに使っていた意味や、太宰治・坂口安吾・織田作之助等の戦後に脚光を浴びた売れっ子作家や編集者が「ルパン」に集まった意味も、かなり後になってから合点が行った次第である。
そういった意味で、ノエビア銀座ギャラリーで開催される「写真家、林忠彦の銀座 - 戦後の記憶」は、戦後の日本と太宰を知る上でも貴重な展覧会であると思う。都合がつく方は(入場無料だし)ぜひ足を運んでいただきたい。

最後に、太宰治は「東京八景」で(そして「十五年間」でも引用して)「私は、やはり、人生をドラマと見做していた。いや、ドラマを人生と見做していた。(中略)けれども人生は、ドラマでなかった。」と書いている。

本当にそうだろうか?

人生の数だけ、その人が主人公のドラマがあると思われる。ただ、本人がドラマであると自覚しているかどうかの差でしかないし、そのドラマに筋書きと台本がないだけではないか。
そもそも、太宰治の文学が壮大な太宰自身のドラマであるとも言えるだろうし、時代を超えて太宰治とその文学を愛している私のようなダザイストの変態は、そのドラマのサイドストーリーを知ろうと、各地で開催される太宰治関連のイベントに行きたい欲求に駆られる。
私のような浅学非才で凡人の「人生のドラマ」は特に見るべきなにものもないが、「ドラ待ちっく」なのは、麻雀をしてる時ぐらいだろうか。

雀荘にてドラ待ちテンパイ状態でツモを盲牌する管理人

馬犬 目 じゃん..._φ(゚∀゚ )アヒャ

 


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