上野発の夜行列車


タグ聖地巡礼の旅, 1995(平成07)年, 太宰治没後55年, 寝台特急, B寝台


 
聖地巡礼の旅 1995(平成07)年07月当時の津軽鉄道「金木駅」
 

1995(平成07)年07月20日 夜  

「上野発の夜行列車~」で思い出されるのは、石川さゆり津軽海峡・冬景色」だろう。
この曲は、北日本(北陸地方を含む)への玄関口であった上野駅から夜行列車に乗り、雪が降る青森の青森駅で降りて青函連絡船で北海道の函館駅へ向かう、抒情的な演歌だ。

青函連絡船1988(昭和63)年青函トンネルの開通により、運行が終了している。
1995(平成07)年当時はすでにブルートレインの廃止が相次いでおり、寝台特急の運行本数も少なくなっていた。
その理由として、車両の老朽化や新幹線の延伸、規制緩和による格安高速バスやLCC(格安航空)の誕生等が挙げられるようだが、当時は都内から青森まで発着する夜行バスはなかったし、羽田空港から青森空港に発着するLCCもなかったから、短い夏休みをやり繰りするには「上野発の夜行列車」で青森に行くしかなかった。
それには平日(7月20日は木曜日)に定時退社して速攻で帰宅し、旅装を整えてすぐさま上野駅に向かう必要があった。

出発前に撮った若き日の管理人

出発前に記念で一枚撮ったものの、カメラ性能と劣化したフィルムに愚弟のウデでは、この写真が精一杯であった。

22:23 上野発 はくつるB寝台にて  

出発当日は前夜からの雨だったのもあり、ともかくドタバタの連続で、やっとのことで電車に飛び乗ることが出来た。
この辺の詳細は携行していたB5ノート「聖地巡礼の旅 H.7.20~23」から引用したい(なお、特定の企業・駅名・個人は伏せる)。

 現在、22:34。
さっきやっとのことでベッドメイキングを終え、浴衣に着替えたところだ。
 18:17に亀戸のTシステムを退け、帰宅したのは20:15頃だったと思う。
前の晩から降り出した雨は今日の昼頃まで続き、旅立ちの日だというのにエンンギが悪かった。
ただでさえ開発が遅れており、やらねばならぬことが山積していたが、特に何もせずに一日流してしまった。
後ろのシマに座っているIプロジェクトのIさんに何回「心ここにあらずだネ」と冷やかされたことか。
今日に限ったことではなく、今月はほとんど「心ここにあらず」でボーッっとしていたのだ。
 なぜ今日も含め今月ほほんどの日をボーッとしていたのかは分からない。多分、仕事をしたくなかったのだと思う。その理由は・・・やはり分からない。
分からないついでに書くと、今日、そしてB寝台でこの旅行記ともつかない駄文を書いている今でさえ、これから自分が師と仰ぐ太宰の生家「斜陽館」に宿泊に行くのだという実感が全くない。
つまり、期待に胸をふくらませてワクワク落ち着かないような、楽しい気分が露ほどもない。
なぜだか、金木の斜陽館に行くのは、会社から家に帰るような、全くの必然のような気がする。たかが会社から家に帰るのに、疲労は伴っても期待に胸をふくらませてワクワク落ち着かないような、楽しい気分になるだろうか?
少なくともここ3~4年、そんな気分なんぞ味わった事はない。全く同じとはいわないが、今回の旅行は「会社から家に帰る」そんな普遍的かつ必然的な、妙な実感のなさから始まった。
初めて太宰の『人間失格』を読んで早8年。
もうすでに太宰文学と俺の実人生には距離があいてしまったのだろうか?
 たった今、電車が止まった。0:03、宇都宮に着いたらしい。
ここまで書いて電車がまた揺れ出した。やはり移動中の電車の中では文章が書きにくい。
すぐ近くで宇都宮から乗車した客と車掌のやりとりが聞こえる。
 さて、正確な時間まで持ち出して書こうとしていた事があったのに、スッカリ脱線してしまった。
18:17に会社を退けてからこの「はくつる」に乗るまで、実に慌ただしかった。それを初めに書いておこうと思った。
 会社を退けてK駅の階段を登っていると、後ろから猫の鳴き声に似た「◯◯さん、◯◯さん!」が聴こえた。
呼び止めれるなんて思ってもみないからビックリして振り向くと、そこにはNさんがいるではないか。
予期せぬところで予期せぬ人物から声をかけられたものだ。
彼女はTシステムの新人で、割と人気のある娘だ。あまり話をしたことがなかったから、本当に驚いた。まさかこの俺を呼び止めるなんてね。
彼女も丁度帰るところだったようで、一緒に電車に乗り、彼女は隣駅のK駅で降りた。
その間に取得した彼女についての情報は次の通り。

  • 間近で見るとソバカスだらけで肌も荒れている
  • メシを喰うのが楽しみならしく、朝食は5時ちょっと前に起きて40分ぐらい食べているらしい。特にバナナは欠かせないとのこと。
  • そお言えば、この間、昼にカツ丼を買って来ていた
  • 大喰いだという割に非常にスマートである。むしろ痩せていてスタイルが悪い印象。
  • 宮沢賢治のファンで、賢治と同じ8月1日生まれが非常に嬉しいと言っていた(宮沢賢治は8月27日生まれだったと思うが?)
  • ちなみに俺が太宰ファンでこれから夜行で聖地巡礼の旅に出ると言ったら意外そうな顔を一瞬浮かべ、好奇の・・・むしろ自分も文学は好きなんです、といった笑顔になった。そこで賢治のファンなんです、と彼女は打ち明けたのだった。
  • やっぱりカラオケが好きなようだ
  • 彼女が住んでいる戸塚から亀戸のTシステムまで片道1.5時間だそうだ

以上、彼女についてはこのくらいにしておく。
もうちょっとだけ書くと、秋葉原に着くまでハッピーな気分だった。やはり賢治のファンは多いのだ。
 またもや話が脱線した。
さっき電車が止まったので、それをしおに通路に出て外の景色を覗った。
0:42、栃木県の黒磯駅。客車のドアは開いていない。
多分、乗務員の交代か何かだろう。約12分ほど停車した。
 で、自宅最寄り駅に着いたのが19:30頃。
朝は雨だったので、当然行きも帰りもバスとなる。家に着いた時には冒頭に述べた時間になった。
帰宅すると一昨日洗った靴が2足とも乾いていないと言う。だったらティッシュでも詰めて工夫してくれればいいものを、我が母ながらに気が利かない。
仕方がないから急いで靴流通センターに行ってデカくてゴツい、割りとイイ靴を3千円で買って来た。
すぐ風呂に入ってメシ(カツ丼だった)を食ったら21:00を回っていた。ひぇぇぇ!
急いで支度をし、出掛けの玄関先で愚弟に一枚記念撮影させてバス停に走った。
しかし、バスを待っていたら電車に間に合わなくなるのでタクシーを拾い、最寄り駅へ。21:35発急行池袋きに乗るも、すでに時間はヤバいし、もう靴ズレでカカトが痛い。
21:58に池袋到着。すぐに山手線に乗り換え、上野に着いたのが22:18。ダッシュかまして15番ホームに向かい、なんとか缶コーヒー1本買って出発ギリギリで乗車に間に合った。
しかし、酒もなければツマミもない。タバコも半分くらいしかない。いきなり途方に暮れてしまった。
 夜行列車は初めてだから、何も知らない。
てっきり自由席かなんかがあって、気が向いたら寝台車両に行って寝るものだと思っていた。ところがハナから寝台車両しかないらしい。
B寝台は上下左右4つのベッドがあり、ベッドといっても横長の座席に毛の生えたようなもので、それに厚手のカーテンで覆ったような簡単なものだ。
A寝台は個室らしいが、どんな構造か知る由もない。B寝台14番下が俺の今晩の寝床だ。
 狭い通路には一定の間隔で折りたたみの簡易イスと灰皿が付いている。まずはそこで缶コーヒー(本当はビールかウイスキーだったのに!)を開けて一服した。
車両と車両の連結部には乗降デッキの他に洗面台とトイレが2つづつあり、簡易的な更衣室(更衣所?)がある。それに畳んだ紙コップを広げて飲める冷水もある。
22:23に上野を発って23:00には車掌が客室の電気とブラインドを下ろしに来た。0:00には通路の明かりも絞られたようだ。
 最後に、ベッドメイキングにはマイッタ。やり方が分からないのだ。
ベッドには枕とシーツのような謎の細長い白い布と、これまたシーツ(?)にくるまれた毛布が置いてある。それと安っぽいプラスチックのハンガーが1本。
で、シーツにくるまれた毛布は、そのままシーツと毛布だと思い、変だな?と思いながら広げてみる。掛け布団は?ふと疑問に思った。
とりあえずシーツを敷いて毛布を掛けようと、シーツのようなものから無理に毛布を出し、さて、広げると毛布は非常に不自然な格好になる。しばらく悩んだ末、やっと分かった。
この毛布とそれを覆っていたシーツのようなカバーは筒状になっており、そのままベッドに敷いてその中に入って眠るのだ!ナルホド、知らなかった。
仕方なし苦労してカバーの中に毛布を戻し、それを敷いてベッドメイキングをした。
ついでに白地に紺色の文字で「JR」と一杯に書かれた薄手の浴衣に着替え、準備万端状態にし、こうして駄文を書いている。
 それにしてもB寝台というヤツは狭い。バッグの置き場がないから足を曲げて寝ないとダメだ。
これで寝台料金6千数百円也は高いとさえ思う。ちょっと納得行かないな。それに電車もよく揺れるから、文章を書くのはちょっとツライ。ストレスが溜まるなぁ。
 現在1:48、もう寝る。
盛岡に5:31着だから、5:00には起きなくては。

「聖地巡礼の旅 H.7.20~23」

以上、引用文の前半~半分はどーでもいいことばかり書いているが、当時の寝台特急がどんなものであったか、その雰囲気だけでも伝えられたら、と思う。
調べてみると、ブルートレインは最後まで残った「北斗星」が2015(平成27)年8月に廃止され、姿を消してしまった。
現在、定期運転している寝台特急は「サンライズ出雲・瀬戸」だけになってしまったようだ。

 


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