勉強する本質について知るべき3つの理由


タグ管理人「一日の労苦」, 2022(令和04)年, 香川県, ネット・ゲーム依存対策条例, 北京オリンピック, 宿題・学習塾禁止令, ゲーム規制, 不正競争行為, 不動産バブル, 恒大集団, アリババ, 滴滴出行, ネトゲ廃人, 若者がテレビを見ない理由, 勉強する本質, 正義と微笑


 
管理人「一日の労苦」(金木小学校 太宰治「微笑誠心」碑)

2022/02/23

2020(令和02)年に、香川県でネット・ゲーム依存対策条例が香川県議会に提出され、可決・成立し、施行されたのは記憶に新しい。
同条例に関しては、私が見たところTwitterでは賛否というより否定と批判が圧倒的に多かった気がするが、私と同世代の子を持つ親世代はファミコン世代でもあるから、ネットやゲームのプレイ時間を家庭内で規制したいものの、積極的に賛意を表明できなかったと思う。
私はファミコンで遊んでいなかったため、親から「ゲームばかりしてないで勉強しなさい!」などと言われたことはないが(その代わり「パソコンばっかりやってないで(以下略)」とは言われた)、自身が親に言われた小言を、自分の子供に言えた義理ではあるまい。
香川県で施行された条例は話題になったものの、条例には罰則規定もないし、あとに続く地方自治体もなく、国も放置状態であるから、そのまま忘れ去られた形のようだ。
ところが、ここに来て支那では新たな局面を迎え、私も最近再びツイキャスを覗くようになって若い人の話を聞く機会があり、思うところを書いてみたいと思ったのである。

支那は人権も自由もない地獄  

改めて書くまでもないが、支那は共産党一党独裁体制で、そのトップに君臨しているのが習近平である。
つまり、習近平が「許さん!」と言えば、すぐさま共産党による「指導」という名の規制が実施され、国民は反対の声すら上げられない。ウカツに習近平や共産党政権について批判的なことを公に発言しようものなら、すぐに公安警察が駆けつけて逮捕され、獄中から生きて出ることはないようだ。
平和と平等が大好きなお花畑の日本人からするとちょっと信じられないと思うが、ウソだと思うなら、支那によるチベット、ウイグル、内蒙古(モンゴル)の弾圧とジェノサイドの実態をネットで調べてみれば良い。
そんな国へ北京オリンピックだからと日本を含め参加する国はどうかしてると思うし、もっと言えば参加する選手の頭の悪さと不見識が信じられない。自国民の他民族をジェノサイドしてる国のオリンピックで、間接的に「ジェノサイドに加担した(あかし)のメダルを獲って嬉しいのだろうか?
まぁ、嬉しいんだろうな。オリンピックに出てメダルが欲しい運動バカのエゴイストどもだから。

ペテンオリンピック

ペテンオリンピックは終ったし話を先に進めると、昨年の秋以降、支那の不動産バブルが崩壊する懸念が一気に高まった。不動産開発大手の恒大集団が債務超過でドル建て社債の利払いが出来ず、破綻の危機が報じられたからだ。

支那国内で最大手に近い恒大集団が債務超過状態だということは、それ以下の規模の不動産開発業者は、もっと深刻な状況に置かれている可能性が高い。
今現在、恒大集団が破綻したというニュースは聞かないが、事実上デフォルト状態のようで、習近平政権があの手この手で情報を隠蔽しているのだろう。
これは従来の「先富論」から「共同富裕」に経済政策を転換したからで、不動産開発の恒大集団の破綻の危機が日本で報道される前は、アリババ(支那版Amazon)や滴滴出行(支那版Uber)といったITの大手企業が不正競争行為ということで、規制が強化されたことが報道された。
基本的に共産主義とは私有財産を否定し、共有財産制を実現することで貧富の格差をなくす政治体制と経済体制を指すが、支那では鄧小平が1980年頃に改革開放路線に舵を切って以降、都市部から徐々に貧富の格差が大きくなり、共産党政権は常に国民の不満をかわす必要があった(国民による民主化運動が発生すると、これを徹底的に弾圧したのが「六四天安門事件」である)。
具体的には、江沢民が1994年に「愛国主義教育実施要綱」を制定し、1995年を「抗日戦争勝利50周年」として盛大に祝うと共に、徹底した反日教育を推進したのだ。
ところが、反日でガス抜きが出来ないほどに国民の不満が高まり、天と地ほどに経済格差が開いてしまうと、民間企業の富裕層をターゲットにする他はない。高額のギャラを稼ぐ女優や、ネットで大金を稼ぐインフルエンサーに有り得ないほどの税金を課したのも記憶に新しいが、それどころではない。
昨年から「共同富裕」などと言い出し、「みんなで豊かになろう」と言いながら、一部の大金持ちや成長産業の民間企業を手酷く締め付けるのだから、支那人というのは本当に救いようがない
ハッキリしているのは、この世で最大限の贅沢と権力を誇示できるのは共産党の上層部にいる一握りの人間だけで、それ以外の人間が同じように贅沢をすることや、仮に特定市場であっても、権力があることを一切認めないのだ。
なお、習近平政権が最近打ち出した規制は、次のようなものだ。

支那の宿題・学習塾禁止令とゲーム規制の狙いとは?  

日本を含む先進国(G7)は、どこもかしこも”学歴社会”である。
G7でなくとも、世界第二位の経済大国である支那も超学歴社会であるのは言うまでもなく、それは毎年大学入試で遅刻しそうな受験生のニュースが、なぜか日本のテレビで報道される韓国も同様だ。
問題なのは「誰でも大学に進学可能」であり、「大卒=ホワイトカラー=経済的優位」という構図だ。当然ながら、日本でもそうだが、支那でも大学進学率は50%を超えている
特に問題は、大卒者に対する社会の需給のアンバランスと、本人の能力と意識のアンバランスだ。
分かりやすく問題になるのは「大卒者に見合う十分な職を提供できない」需給のアンバランスで、支那では大学新卒で就職先が決まる学生の割合は3人に1人だ。
小学生の頃から学校の宿題があまりに多く、児童の負担どころか大学に進学させたい両親も宿題に協力する上に、学習塾にも通わせるため、子供と親の時間的・経済的負担は日本人の想像を絶するものらしい。
そうやって上位の学校に通わせ、上位の大学に進学させても、新卒の6割以上が就職できず、低所得の職にしかありつけないのでは、「不満に思うな!」と言っても無理な話だ。
支那の実質的属国である韓国も似たようなモノで、それに比べれば日本の児童・生徒・学生なんてのは恵まれ過ぎているようにも思うが、それがアダとなって中韓の留学生が日本に押し寄せているのだからタマラナイ。

また、支那は同時にオンラインゲームも規制を強化している。
日本でも2000年代からオンラインゲームにハマる「ネトゲ廃人」が問題になってはいたが、支那や韓国でも同様で日本以上に酷く、ゲーム依存症は疾病として社会問題になっている。
これは所得格差の問題が背景にあると思うが、中間所得層以上の階層の家庭では「何が何でも大学進学」志向であるのに対し、中間所得層未満の低所得者層の家庭では、子供に構っている時間と経済力がなく、子供は子供でネトゲ廃人になっているのではないか。
これは支那に限った話ではなく、日本でも韓国でも、アメリカだって似たような構造だろう。支那の場合は独裁政権だから、こんな思い切った規制を簡単にやってしまうだけだ。
では、この宿題・学習塾禁止令とゲーム規制の狙いは何か?
恐らくシンガポールと同様の「早期選抜」による「エリート指導」社会の実現だろうと思うが、本当に学力優秀なエリートだけを大学に進学させることにより、「共同富裕」政策に現実味を持たせる一方で、オンラインゲームにハマる頭脳低劣な国民を輩出させない考えなのかも知れない。
芸能界やゲーム業界を締め付けることで、歯止めのかからない少子高齢化の中、出生率の向上を見込んでいる、とも考えられる。
出生率の向上はともかく、1980年代までの日本が良い例だが、国民の大多数は高卒以上であり、大学はエリートを養成する高等教育機関であって、国民は等しく一定の学力を有していた。また、国民の所得と経済力は右肩上がりの成長をしていて「総中流社会」であったから、社会や政府に特に強い不満がなかった。良くも悪くも、だが。
なお、オンラインゲームに関しては、2018(平成30)年にWHOが日常の生活よりもゲームを優先する状態などが1年以上続く状態を「ゲーム依存症」の疾病として定義している。
今や小学生がスマホを持つような時代だし、子供の小遣いでは課金も出来ないだろうから、余計にオンラインゲームに時間を割くことになるのだろう。
ところが、脳が未発達で発育段階の子供が長時間スマホでゲームばかりしていて良いハズがない。スマホで近眼になる小中学生が多いのも問題だが、それよりも脳へのダメージの方が計り知れない
個人的に他人の趣味に口を出す気はないし、オンラインゲームで遊ぶのが悪いとは思わないが、ゲームで遊んでばかりで何になるのか?とは思う。所詮は他人が創った世界の範囲で遊んでいるに過ぎず、極論を言えば時間と人生の無駄遣いのような気がしてならない。

勉強する本質と、それを知るべき3つの理由  

ここ4~5ヶ月ほど、特に深夜に作業している際にBGM代わりにツイキャスの歌枠にお邪魔しているが、20代の漢字弱者っぷりに大いにヘキエキしている。これもネット依存とオンラインゲーム依存の弊害かも知れないと、密かに疑っていたのだ。
漢字弱者に辟易しながらも「なぜか?」を知りたい、無駄に好奇心旺盛な私が得たザックリとした知見は、今のところ次の通りだ。

  1. 私がツイキャスで会話している若者は20代で、大卒者(または大学生)ではない
  2. 中学または高校で学校の勉強に落ちこぼれている
  3. 学校の勉強をする意味を見出さないまま社会に出ている
  4. 漢字を雰囲気でしか理解しておらず、文章も雰囲気でしか内容を理解していない

上記 1. はタマタマかも知れないし、以前は大学生や大卒OLの枠で会話したことがあったが、それでも漢字が弱い面は指摘できる。
問題は 2. 以降で、特に 4. はかなりヤバイものの、私が知る上では 4. のケースは多い(本人が言っているので間違いがない)。

どおりで意思の疎通ができないワケだ!
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

・・・そりゃ、仕事で指示が正確に伝わらなかったり、平気でミスをするワケである。
別に中学や高校で学校の勉強の意味を見出せず、学業を放棄するのは自由だが、勉強する本質について太宰治の言葉を知っておいて損はないだろう。

もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!

出典:太宰治「正義と微笑」(新潮文庫『パンドラの匣』所収)

ツイキャスでも「数学やる意味とかマジでワカラン」と言う。要するに四則計算が出来れば実生活に影響がないではないか、という意見だ。
こと数学に関して言えば、問題を解く公式や方程式を覚えるのが重要ではなく、「数学的なものの考え方」(=論理的思考)を学べれば良いのだが、中学や高校の数学教師がちゃんと数学を学ぶ本質を教えているのか、大いに疑問だ。
例えば何かを他人に伝える時、一番分かりやすいのは仕事で顧客に説明する場合がこれに該当するが、自分の主観的意見を伝えるだけでは全く意味がない。
客観的な数字でなければ、伝えたい相手も理解しにくいし、第一、説得力がない

上記は先日メインサイトに書いた記事だが、メールをくれたイギリスの会社が調査したところによると、16台に1台(約6.4%)の無線ルータがメーカー出荷時のデフォルトパスワードを変更せず、DNSハイジャックや盗聴、踏み台のプロキシとして悪用される可能性がある、と警告しているのである。
16台に1台(約6.4%)といった割合が大きいか小さいか、それを判断するのは相手であって、伝えたい本人が判断することではない。さらに言えば、無線ルータの年間出荷台数(販売台数)を添えれば、相手にとって判断材料が増えるだろう。
こういった客観的な数字を示すには数学の基礎がなければダメだし、論理的思考が出来なければ相手を説得したり、納得させることは出来ない。
愛する」というのは、「大切にする」と同義だ。自分が他人に何かを伝えたいなら、相手を大切に思わなきゃ伝えたい内容や思いは伝わらず、お互いに自分のエゴで離反してしまう。
以上のことから、勉強する本質について知るべき理由は次の3つに要約される。

要するに「自分の言葉で武装しろ」と言いたいのだ。それには勉強するしかない。
人間は言葉によって世界を認識しているし、世界は言葉で出来ている。そして次世代への文化の継承も文字言語によって行われる。
どんなに本を読み、知識を得て名言を知ったところで、自分の言葉として表現が出来ないのでは意味がない。
引用した「真にカルチベートされた人間になれ!」という意味は、そういうことだと私は理解している。

おわりに  

私は愚劣な人間が大嫌いなので、基本的にテレビは見ない。
昭和の時代はちょっと別にしても、今どきの芸能人は低劣愚昧のヤカラばかりであるし、知的好奇心を満たしてくれるような番組も皆無だ。
そういった意味で言えば、私の世代のアイドルで松本伊代というのがいたが、これほど小中学生の私をイラつかせる芸能人はいなかった。
今でも覚えているが、松本伊代が自著を出版した際のインタビューで、インタビュアーが「どういった内容の本なんですか?」の質問に、「ゴメンナサイ、まだ読んでないので分からないんですぅ」と答えたのには、流石にビックリした。
今ならネタとして笑えるが、そうでなくともテレビに出演している若い芸人やモデルで、共演者と会話のキャッチボールすら出来ない巨バカがいるから、見るだけ血圧が上がるというものだ。
ツイキャスで会話している若い人は、やはりテレビなんか見てはいないし、一人暮らしの人の場合だと、テレビそのものを持っていなかったりする。
ただ、テレビを見ない理由が私なんかとは違っていて、YouTubeやTikTokの方が面白いし、ゲームをしてるからテレビなんか見る時間がない、と言うのだ。つまるところ情報源はネットのみで、それもSNSが中心だから、タイムラインで流れて来たツイートを読み、YouTubeやTikTokのおすすめ動画を見て終わるようだ。
知り得る世界はその範囲から大きく出ないから、「オミクロン株ってなぁに?」などと平気で言ったりもするし、当然ながら支那でウイグル人が苛烈なジェノサイドに遭っていようが、知る由もないのである。
ゆえに、北京オリンピックや、支那の不動産バブルが崩壊しそうだということすら、知らないし知ろうともしない。
それが日本や、自分の生活にどんな影響があるかなんて想像もしないし、想像すら出来ないのが本当のところだろう。
知り得る世界が狭く、自分に自信が持てないまま、世間や周囲の言葉に振り回されているのは、実は子供も大人も変わりがない。どうやら学校を卒業すると、勉強はしなくて良いと勘違いしているようだ。
そして本や雑誌、ネット記事すら読まないから漢字や簡単な英単語すら読めないし、文章の意味が理解出来ない・・・負の無限ループなのだろう。
年齢に関係なくSNSや個人配信等では、とにかく自己承認欲求ばかりが強く、少しでも批判的な意見にビクビクするか、気になってエゴサをしなければ済まず、または排除しなければ気が済まないようだ。
ネットでロクな情報発信も出来なければ、ネットの情報すら自分で満足に消化できないのなら、真面目に勉強しとけと言いたい。ゲームなんかしている場合なのか?と。
今や、マスコミの偏向報道や印象操作を問題視するのは中高年だけで、若い世代はテレビはおろか新聞や雑誌も読まないから、いくら「マスゴミガー!」とSNSで叫んだところで、若者にはほぼ無意味なんである。中高年も若者同様、勉強していないからバカが多い。
結局のところ、私ごときが不人気な本サイトでこうして記事を書いても無意味なのは重々承知しているものの、中年のサガと言うべきなのか、書かずにはいられないのだ。
ともあれ、支那ほどではないにせよオンラインゲームを規制し、教育改革を断行しない限り、日本は経済が発展しないまま二流国へと沈没してしまうだろう。
それでもいいと思っている(もしくは何も考えていない)人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっている。

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