管理人「一日の労苦」/2020/0613白百合忌について

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管理人「一日の労苦」(金木小学校 太宰治「微笑誠心」碑)

2020/06/13

白百合忌について  

太宰治ファンなら6月19日の「桜桃忌」はご存知だろうし、墓所がある三鷹の禅林寺や、生家のある青森県五所川原市の芦野公園、ゆかりのある山梨県の御坂峠にある天下茶屋近くの文学碑等に参集する人もいることだろう。私もこの30年、毎年三鷹へ墓参するのが習わしだ。
ところが毎年毎年ことごとく忘れるのが今日、13日の「白百合忌」で、今年もスッカリ忘れていた。「白百合忌」は在野の太宰治研究者として知られる故長篠康一郎(ながしのこういちろう)の命名によるもので、昭和41年6月に山崎家の菩提寺である文京区関口町の永泉寺で開かれた18回法要と「山崎富栄を偲ぶ会」において、長篠康一郎氏が「富栄忌」を提案し、採択された。その後、昭和43年の第3回富栄忌からは「白百合忌」と改称されたのである。
ちょっと長いが、長篠康一郎太宰治文学アルバム』の「桜桃忌と白百合忌」から、第19回桜桃忌で小山初代の伯母にあたる方の話を引用しておきたい。

「--太宰文学というものは、多数の女性によって、支えられていたのではないかということを感じました。津軽のタケさんからはじまって、初代、それから鎌倉で亡くなった女のかた、それから奥さん、それから、太田静子さん、それと亡くなられた時に、一緒に入水された山崎富栄さん。ですから、太宰さんの文学は、女性なしに生まれなかったということを、つくづくと感じました。ひとことで言って、太宰さんは、女性の敵ではないかという気もいたしました。すぐれた文学をお書きになりましたけれども、その蔭にあって、多くの女性が犠牲になって、泣かされて、たいへん不幸な生涯をおわったということを、つくづくと感じました。太宰さんは、悪いとはいいませんけれども、太宰さんの下草になった女のひと達は、いま、どういうふうに扱われているかということを、しみじみ感じたわけです。亡くなられたかたが半分、いま生きているかたが半分いらっしゃるようでございます。ですから、いま生きていらっしゃるかたは、いまの太宰文学というもののきらめく栄光の中にありまして、たいへんに恵まれても居られ、その栄誉を得られていらっしゃいますけれども、亡くなったものは、死に損で、たいへん不幸な生涯を()えたような気がいたします。ほんとうに、そういう女の方達が亡くなりました時に、奥さんは、その奥さんという名誉をもって、太宰さんと同じお墓にお入りになるでしょうけれども、ほかの、その、そういう資格を持っていない女のひと達は、たとえ、数ある文学碑の中の一隅にでも、せめて小指の一本ずつでもいいから、どっかの文学碑の中に埋められても、いいんじゃないかという気がいたします。人の深い悲しみとか、嘆きとか、苦しみとか、そういうものを知っていない人は、ひとをあらわせるものは書けないと思います。そういうふうな、太宰さんがその踏石にした女たちの霊を、弔うために、せめて小指の一本ずつでもあつめて、文学碑の中に埋めていただいたら、もっとサービスのよい鎮魂の席になるのではないかと、そういう(おも)いを新たにしました・・・・・・」

出展:長篠康一郎太宰治文学アルバム』広論社(昭和56年09月25日 限定発行)

私が太宰治を知ってのめり込んだのは中学生の頃で、昭和も終わりに近い頃だ。引用した文章にあるような、「いま生きていらっしゃるかたは、いまの太宰文学というもののきらめく栄光の中にありまして、たいへんに恵まれても居られ、その栄誉を得られて」いたかどうか、疑わしく思われる。
個人的に「太宰治ファン」であることを口外するのは勇気が必要であったし、それなりに風当たりは強かったからだ。
それでも、一緒に入水した山崎富栄を筆頭に、その女性の扱いたるやヒドイものであると言えるだろう。それに比べれば、太宰文学が評価されるに従い、美知子夫人をはじめ存命していた女性は比較にならないほど恵まれていたのかも知れないが。
ともあれ、太宰治の遺体捜索から発見・葬儀までは、太宰治・檀一雄と並んで「三馬鹿」の一人である山岸外史の『人間太宰治』に詳しい。葬儀委員長を務めた豊島与志雄は「比翼塚にすべき」と主張したようだが、遺体を自宅にあげることを拒絶した美知子夫人の心情を思えば、比翼塚の却下は無理もないことだ。
しかし、豊島与志雄にしても山岸外史にしても、ダラシなく、頼りないところがある。太宰の先輩や親友として、もう少し山崎富栄を庇ってやれないものだったのだろうか。
地道な太宰治研究を続けた長篠康一郎氏の成果がなければ、私のような太宰治ファンですら、山崎富栄小山初代田部あつみについて、その詳細を知ることは無かった。
そうこう考えると、やはり2009年の太宰治生誕100年が分水嶺であったように思う。松本侑子恋の蛍 山崎富栄と太宰治』を筆頭に、出版物や映画製作等で再び太宰治にスポットが当てられたのであるから。

この『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』の参考文献には、真っ先に長篠康一郎山崎富栄の生涯』が挙がっている。
多くの太宰ファンにとって(長篠康一郎氏の著作ではなく)、同書が山崎富栄を正しく知るキッカケとなった本だと思うし、独自に取材した内容も素晴らしい。ただ、「白百合忌」については言及していない。
冒頭でゲロしたように、私は今年も「白百合忌」を失念していた。毎年「今年こそは白百合を持参して永泉寺に墓参に行こう」と思っていて、未だに実現していない。なので1ミリも偉そうなことは言えないのだが、今日ぐらいは山崎富栄に献杯したいと思う。
今年の「白百合忌」も、長篠康一郎氏とその遺志を継ぐ太宰文学研究会の人達によって実施されているのだろうか。山崎富栄小山初代田部あつみ(戸籍名:田部シメ子)の霊が安らかんことを。
最後に、フリーアナウンサーで朗読家でもある、原きよさんの「太宰治生誕111年に寄せて」動画を紹介しておきたい。人によっては貴重な画像を見ることが出来るだろう。ちなみに、動画での朗読作品は「リイズ」と「美少女」だ。ぜひ、視聴をオススメしておく。