太宰治小ネタ集/001 の変更点


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&seo(title){太宰治の実家、津島家の田地は200町歩?資産は5,960億円超!?};
&seo(description){太宰治は青森県下有数の大地主の6男として何不自由なく育ち、ある意味ワガママ放題の人生を送ったと言えるが、果たして実家である津島家はどの程度の地主で、資産はどの程度あったのだろうか?太宰治小ネタ集ではその点を明らかにする!};
&seo(keywords){太宰治小ネタ集,太宰治実家,津島家資産,津島家地所,杉森久英,津島文治,津島英治,歴史を学ぶ意味,農地改革,津島家没落};
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2022/06/17

#contents

いきなり「(太宰の実家の)''津島家の&ruby(でんち){田地};は200&ruby(ちょうぶ){町歩};''」と、&ruby(いにしえ){古};の[[尺貫法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/尺貫法]]の単位「''&ruby(ちょうぶ){町歩};''」で説明されても、私を含む若い世代は ''( ゚Д゚)ハァ?'' となってしまう。
いきなり「(太宰の実家の)''津島家の&ruby(でんじ){田地};は200&ruby(ちょうぶ){町歩};''」と、&ruby(いにしえ){古};の[[尺貫法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/尺貫法]]の単位「''&ruby(ちょうぶ){町歩};''」で説明されても、私を含む若い世代は ''( ゚Д゚)ハァ?'' となってしまう。
さり気なく自分を若い世代に組み込んでみたが(笑)、私の世代ですら[[尺貫法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/尺貫法]]を学校の授業で習った覚えは''まったくない''。しかしながら、私の両親は[[団塊の世代>>https://ja.wikipedia.org/wiki/団塊の世代]]で、普通に[[尺貫法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/尺貫法]]を知っているし、通常使う[[メートル法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/メートル法]]もモチロン分かって使っていた。
つまり、[[尺貫法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/尺貫法]]が当たり前に分かる世代は[[団塊の世代>>https://ja.wikipedia.org/wiki/団塊の世代]]までで、そのジュニア世代である我々以降の世代はまったく分からないから、[[尺貫法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/尺貫法]]が通じる・通じないの境界はこの世代のハザマであると言えるだろう。
ただし、私が子供の頃は『[[母をたずねて三千里>>https://ja.wikipedia.org/wiki/母をたずねて三千里]]』というテレビアニメを見ていたし、同様に「''百里の道も一足から''」「''千里の行も足下に始まる''」といった慣用句で[[尺貫法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/尺貫法]]の「&ruby(り){里};」を使っている。
また、不動産や建築関係では、今でも[[尺貫法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/尺貫法]]の「&ruby(つぼ){坪};」や「&ruby(けん){間};」が使われているし、実際に土地や建物の面積を平米(㎡)で言われるよりも、「''◯◯坪''」と言われた方が、なぜかイメージがしやすかったりする。
こういった[[尺貫法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/尺貫法]]の単位は現在でもその一部が生きているが、特に農業をやっていない都市部の人間には、土地の面積単位を表す[[尺貫法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/尺貫法]]の「&ruby(ぶ){歩};」「&ruby(せ){畝};」「&ruby(たん){反};」「&ruby(ちょう){町};」は、馴染みがないので分からない。
そこで、津島家がいかに大きな地主であったかの説明かたがた、[[尺貫法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/尺貫法]]について整理してみたい。

* 太宰の実家、津島家はどの程度のお金持ちだったのか? [#u60e5a0a]

&ref(./1.jpg,lb:images,1280x885,斜陽館(1995(平成07)年07月22日 撮影));

太宰は「''青森県下有数の大地主''」の6男(11人いる子女の内の10番目)として生まれたことは知られているし、父・[[津島源右衛門>>https://ja.wikipedia.org/wiki/津島源右衛門]]が多額納税による[[貴族院>>https://ja.wikipedia.org/wiki/貴族院_(日本)]]議員であったことや、贅を尽くした豪邸に生まれ育ったことを知る人は多いだろう。
しかしながら、大地主と言っても、どの程度の地所(田地)を持っていたのか、小作人は何人いて、田地からどの程度の収入を得ていたのか、太宰に関する評伝や研究書は多いが、具体的な数字を挙げている本は''かなり限られる''。
そもそも他人の資産や収入なんてのは''下世話な話''でしかないが、太宰の場合は実家が大金持ちだったゆえに、また太宰本人がその実家を密かに誇っていたゆえに、独特の文学を後世に遺したのだから、ある程度その実家の資産を知るのは意義のあることだと思う。
では、実際どの程度だったのか?

#blockquote{{
「お盛んなころは、青森県で一番二番を争う財産をお持ちだったように聞きましたが、田地はどれくらいありましたか」
「二百町歩くらいでしょうか」
 後日、長兄の文治氏から聞いたところによると、津島家はこのほかに、津軽鉄道の株を十五、六万持ち、さらに金木銀行を経営していた。それらを全部合計すると、ざっと百五十万円前後になったという。
(中略)
「小作人はどれくらいいましたか?」
「三百人くらいでしょうか」
「たしか、田地二百町歩ということでしたね。そうすると、米はどれくらいになりますか」
「うちの小作料は安かったですよ。一反につき、ふつう一石といいますが、うちは八斗でした」
「すると、一町歩で八石。二百町歩だと千六百石ですか・・・・・・ウーン、これは大きいですね」
 これはたしかに、そこいらにそうザラにない大百姓である。太宰治という男はこういう家の息子だったわけだ。

出典:[[杉森久英>>https://ja.wikipedia.org/wiki/杉森久英]]『苦悩の旗手 太宰治』(文藝春秋・1967(昭和42)年06月25日 第1刷・pp.23-28)
}}

上記の引用は、太宰没後20年近く経った頃(1965(昭和40)年頃か?)に、著者の[[杉森久英>>https://ja.wikipedia.org/wiki/杉森久英]]が旅館になっていた太宰の生家・[[斜陽館>>https://ja.wikipedia.org/wiki/太宰治記念館_「斜陽館」]]に宿泊し、そこへ著者を訪ねて来た太宰の次兄・津島英治が著者の質問に答えている部分だ。
恐らく、この本で太宰の長兄・[[津島文治>>https://ja.wikipedia.org/wiki/津島文治]]、次兄・津島英治が著者に語っている内容が原典となって様々な[[太宰治>>https://ja.wikipedia.org/wiki/太宰治]]関連の著作その他に引用・展開されたと思われるが、この本は評伝でもとより小説ではないから、著者による仮構はないと見るべきだろう(それでも内容的に一部事実誤認の箇所が指摘できる)。
津島家の田地の広さの[[尺貫法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/尺貫法]]についての整理は次章にするが、「''ざっと百五十万円前後''」の資産とは、現在の貨幣価値でいかほどなのか、先に検討しておく。
これは資料的に企業物価指数で当てはめて計算するしかなく、当時の貨幣価値を現在のモノとして完全に再現は出来ないものの、仮に1921(大正10)年当時を基準にし、2017(平成29)年の物価指数で計算してみると、

#box(bold){{
1921(大正10)年:企業物価指数 1.296
2017(平成29)年:企業物価指数 687.8

∴ 687.8÷1.296=約530.7倍

1921(大正10)年 150万円 ≒ 2017(平成29)年 7億9千6百万円
}}

あくまで上記の計算上では、現在の貨幣価値でザックリ''8億円''ほどの資産家であることが分かる。
現在では8億円程度の資産の富裕層は日本国内でも割とザラにいそうだが、1921(大正10)年度の国家歳入は''約2億6千5百万円''だから、単純に150万円で割ると、津島家の資産だけで''国家歳入の0.56%以上''を占めることになる。
ちなみに2021(令和03)年度の国家歳入は約106兆6,069億円なので、それの0.56%として計算してみると、今で言えば&marker(#8224e3){津島家は軽く''5,960億円''を超える資産家};であった、と言えるだろう。

* 200町歩は東京ドーム何個分? [#g7fd5ada]

&ref(./2.jpg,lb:images,東京ドーム);

元々[[尺貫法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/尺貫法]]は古代支那由来の単位で、古くから日本を含む東アジアで使われて来たが、時代によってその単位と定義が変化していた。
日本では[[計量法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/計量法]]の施行により、戦後の1958(昭和33)年12月31日限りで取引や証明に[[尺貫法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/尺貫法]]を用いることは禁止された。
そこで、面積単位を[[尺貫法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/尺貫法]]から[[メートル法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/メートル法]]に分かりやすく直すと、次の通りとなる。

#sortable_table(||||||,autonum,numstep=1,numname=No,head=#f0f0f0,odd=#ffffff,even=#f6f9fb){{
|~面積|~&ruby(つぼ){坪};|~&ruby(ぶ){歩};|~&ruby(せ){畝};((1アール))|~&ruby(たん){反};((10アール))|~&ruby(ちょうぶ){町歩};((1ヘクタール))((長さの単位「&ruby(ちょう){町};」は109.0909メートル))|~メートル法(平米)|h
|CENTER:|RIGHT:|RIGHT:|RIGHT:|RIGHT:|RIGHT:|RIGHT:|c
|1歩|1坪|CENTER:—|0.0102畝|0.0011反|0.0002町|3.3㎡|
|1畝|30坪|30歩|CENTER:—|0.1反|0.01町|99㎡|
|1反|300坪|300歩|10畝|CENTER:—|0.1町|990㎡|
|1町|3,000坪|3,000歩|100畝|10反|CENTER:—|9,900㎡|
}}
※上記表の「''[[メートル法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/メートル法]]''」欄の値は[[尺貫法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/尺貫法]]の単位に丸めているため、端数を省略している

歴史的に、田んぼ1面の大きさは1反であることが多く、これは田んぼ1反で収穫出来る米の量が1石であることに由来している。
1石は1,000合に相当するが、これは大人1人分の米の年間消費量に相当し、大人が1食1合食べるとした場合、''1日✕3食✕365日≒1,000合''という計算に基いている。
ゆえに、''1反=1石''であるから、津島家の田地が200町歩とした場合、単純に2,000石となるが、前述の通り津島英治の証言「''うちの小作料は安かったですよ。一反につき、ふつう一石といいますが、うちは八斗でした''」から、津島家の収穫としては''1,600石''という計算になるのだ。
とは言え、やはり都市部に居住している私のような''シティボーイ''(死語)には農地の大きさが想像出来ないし、上記のように表に整理してもピンとこない。
そこで[[東京ドーム>>https://ja.wikipedia.org/wiki/東京ドーム]]で比較すると、[[東京ドーム>>https://ja.wikipedia.org/wiki/東京ドーム]]の面積は約47反(約4.7町歩)であるから、&marker(#8224e3){津島家の田地は''東京ドーム42個分以上''もあった};ことが分かる。
・・・そう考えると、スゲー広さだな。''(;´Д`)''

* 歴史を学ぶ意味 [#k34218de]

&ref(./3.png,lb:images,戦後政治と吉田茂);

日本における[[尺貫法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/尺貫法]]による計量は、[[遣隋使>>https://ja.wikipedia.org/wiki/遣隋使]]や[[遣唐使>>https://ja.wikipedia.org/wiki/遣唐使]]によって支那から伝来し、西暦701年の[[大宝律令>>https://ja.wikipedia.org/wiki/大宝律令]]により制度として確立したとされている。
これにより、[[租庸調>>https://ja.wikipedia.org/wiki/租庸調]]による税の徴収と中央集権国家としての実質的な運営が可能になるが、時代によって[[尺貫法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/尺貫法]]による基準がバラバラで統一した単位ではなかったようだ。
これを中世の戦国時代に天下を統一した[[豊臣秀吉>>https://ja.wikipedia.org/wiki/豊臣秀吉]]により、西暦1582年の[[太閤検地>>https://ja.wikipedia.org/wiki/太閤検地]]で土地の測量を実施して権利関係を整理し、[[度量衡>>https://ja.wikipedia.org/wiki/度量衡]]を統一したとされている。
こういった内容は小中学校の歴史(日本史)の中で勉強する範囲だが、私を含む大人のほとんどが忘れてしまっているに違いない。
[[太宰治>>https://ja.wikipedia.org/wiki/太宰治]]のような日本近代文学を読む上でも、現代の日本人が[[尺貫法>>https://ja.wikipedia.org/wiki/尺貫法]]の単位が分からないように、戦前と戦後で教育内容が分断されてしまっているため、義務教育で勉強した歴史的事実も現在の生活となかなか結び付かず、学校で勉強していた当時は面白くないし、学校を卒業してしまうと忘れてしまっている。
実に恐ろしいことだが、&marker(#8224e3){歴史を失った民族は国を失う};。それは祖先・先人の知恵を失うことになるからだ。
ゆえに、自国の歴史を学ぶ意味を再認識し、それを意味あるモノとして次世代に受け継がせていく必要がある。
別に太宰に限らず文学は個人の裁量で読めば良い話であるが、国民として自国の歴史はちゃんと勉強すべきだろう。
ともあれ、[[太宰治>>https://ja.wikipedia.org/wiki/太宰治]]を輩出した津島家の地主としての規模と、その資産をザックリと知ることは出来たと思う。
私が調べている範囲では、家業である[[金木銀行>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%9C%A8%E9%8A%80%E8%A1%8C]]が終戦を待たず[[第五十九銀行>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E5%8D%81%E4%B9%9D%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E9%8A%80%E8%A1%8C]](後の[[青森銀行>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%A3%AE%E9%8A%80%E8%A1%8C]])に買収されているし、終戦後の[[GHQ>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E6%9C%80%E9%AB%98%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E5%AE%98%E7%B7%8F%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E9%83%A8]]による[[農地改革>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B2%E5%9C%B0%E6%94%B9%E9%9D%A9]]で田地の喪失もあり、津島家は急速に没落したようだ。
この辺の詳細に関しては、今後の研究課題としたい。

* 関連記事 [#q5baaa1d]

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